あてんしょん!

*未来捏造です。なんでも大丈夫な方のみ、お願い致します。
*青峰は出てきませんが扱いがヒドイです。なんでも大丈夫な方のみ、お願い致します。
*未来捏造ですので、キセキの皆がどんな未来を歩んでいても大丈夫な方のみ、お願いします、お願いします・・・!

れっつ呪文は「緑黒ふえろふえろふえろふえろrrrrrrrr」








「あ、ベーカリーによってもいいですか?バケットが欲しくて」
「・・・ああ」

 その日、緑間と黒子が顔を合わせたのは全くの偶然だった。



緑間君と黒子さん、三十五歳。結婚を前提に、お付き合いをします。



 大学在学中に作家デビューを果たし、以来人気作家として純愛からミステリー、果てやホラーまで幅 広いジャンルを書きこなす黒子は、現在三十五歳。もちろん独り身である。二十代半ばまで使い勝手が 良いと住んでいたワンルームマンションは長年世話になっている担当編集に半ば強制的に退去を迫られ 、現在はシングルライフに最適、とお金の有り余っている二十代〜三十代の女性に愛されている広い で暮らしている。システムキッチンとウォークインクローゼット付きの1LDK。ちなみにリビングが一人 用にしてはめちゃくちゃ広い。
 バスケが大好きで、中高とずっと続けてはいたけれど、彼女は元 が文学少女である。部屋に篭っている事をあまり苦痛に感じない事もあって、黒子は執筆活動はほとんど 自室で行っている。そのため外との個人的な交流は年々減りつつあって、そのことに担当が少し危機感 を覚えていたのも知っている。元が愛らしい顔立ちにフェミニンな雰囲気を持つ黒子が、恋人もいなけ れば結婚予定の相手もいない。アラフォーに片足つっこんでいる現状に銜えて出不精となれば、彼女が 少し焦るのも当然といえた。また黒子も、部屋にこもる事を苦に感じないというだけで、外が嫌いなわ けでは決して無い。むしろ身体を動かすのは大好きなので、何かしらの誘いを受ければ出かけるのだ。 けれど。

 昔の担当の友達の妹。そんな全く接点の無い人に合コンに呼ばれるのは、やは り少し抵抗があって。
「ねぇ、お願いっ!アナタがこういうの苦手って知ってるけど、お願いお 願いお願いっ!」

 けれどその女性と一緒に前担当に、膝に頭がつくくらい頭を下げられ ては、断れる筈も無かった。



::



 どうしても人数が足 りない、といわばおまけ的な存在として呼ばれた合コンの会場は、都心部からそう遠くは無い所にある フレンチレストラン。カジュアルな格好でも行けるフランクなレストランとして、ちょっとしたブル ジョワジーな気分を味わいたい若者に人気という店だ。もちろんメニューはコースが多いのだが、そこ はカジュアル。マナーや作法をさほど気にする事無く食べ進めていけるという事で、今回、二十代後 半から三十代後半、と年齢の制限されている合コンにはぴったりというわけだ。
 そしてその 合コン、が始まって早々。
 目の前に座った男性と一瞬呆けて見つめあってしまったという理 由で、黒子はさっそくぽつねんとその人と一緒にグループから切り離されてしまった。合コンは彼女 らの所為でしょっぱなから盛り上がってしまい、黒子にはどうすることも出来ない。黒子の目の前にい る彼も元々数合わせ要員だったらしく、それでもその数合わせの彼に熱っぽい視線を送っていた女の子に は少し気が引けたが、その子も時間が経つにつれどんどん黒子を意識の隅から追いやってしまった。これ だけ人生生きていても、影が薄いのは変わらないのだ。
「・・・黒子・・・」


  赤司は大学を卒業後、実家を継ぐための前準備として、家の決めた良い所のお嬢さんと早々にお見合い 結婚をしてしまった。結婚後は互いを「君」「征十郎さん」と呼び合い、数年後産まれた子供とはあま りなれ合わないと聞く。けれどいくら家の為にした結婚だとはいえ、奥さんとの不穏な話が一切浮かび上 がってこないのはつまり、赤司自身がそつなく立ち回っているか、彼女が慎ましく彼に必要以上に干渉し ていないという事だろう。
 黄瀬は大学中に被写体であるモデルから、撮る側のカメラマンに転 向した。男性でも女性のモデルでも、美が光る瞬間をモデル時代の勘でもってシャッターにぴたりと 収めるという手腕は評価を呼び、今ではモデルよりもカメラマンとしての彼の方が有名である。そん な彼は一回り近く歳のはなれた年上の女性と結婚。いわゆるバリキャリという種族に分類される彼女 は、雰囲気がどことなく「黒子っち似」らしい。忠犬性質は変わっていないが、それでも「彼女には俺がいないとダメなんスよ」と惚気られるくらいには、彼は幸せにやっているようだ。
 青峰は二十代後半で女性を妊娠させ、そのままスピード婚と相成った。アメリカのNBAでプロのバスケットボールプレイヤーとして活躍しており、三十五の今もまだまだ現役。休日には八歳になる息子と三歳の娘と一緒にボールとじゃれながら過ごす日々を送っている。奥さんとの仲がどうなっているのかは、誰も知らない。
 紫原はなんとパティシエになった。天職の様な、めんどくさがりやな彼を知っている者からすると首を傾げてしまう職のような。けれど元々優しい性質の彼は、人に自分の作った大好きなお菓子を美味しいと言ってもらえる喜びに目覚めたようで、日々盛大に味見をしながら新作作りに励んでいる。そんな彼も二年前、三十三でついに結婚。相手は一つ年上のショコラティエ。眼光のどぎつい、178cmの長身の女性だ。今までその高すぎる身長から男に敬遠され、女からはその顔立ちと出で立ちでショコラティエなんて似合わないと笑われ。そんな彼女を規格外のでかさとお菓子への愛で包み込んだのが彼、紫原らしい。
 桃井は割と早い段階で三つ年上の男性と結婚し、スポーツドクターとして働く傍らで一児の母として充足した毎日を送っている。

 そして。

「・・・緑間君」
 そう、彼、緑間真太郎だけが、中学時代からはや二十年弱連れ合ってきた仲間達の中で、黒子と同じく、独身だった。


::



 どうして、こんな所に。

 お互いがそう聞く前に、料理はどんどん運ばれてきて。それをゆっくり食べつつ、二人はこの合コンという特殊な状態に漂う妙な雰囲気を払拭すべく、ぽつぽつと会話を始めた。


「・・・お上手ですね、緑間君」
「・・意外な事に、患者を助けるだけが医者ではないのでな。お前も手慣れているようだが?」
「ボクも意外な事に、文字書くだけが作家じゃないんですよね、これが」
「接待か」
「接待です」
「どこも似た様な物だな」
「全くです。あ、サラダ食べます?」
「ああ、もらう」
「緑間君、たしかごまドレッシングしか受け付けませんでしたよね。はい」
「ありがとう。・・・あ、これ好きだったろう。やるのだよ」
「ありがとうございます」
「・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・」
「・・・・ええと、今日の幹事の人は、お知り合いですか」

 一瞬二人の間を沈黙が支配する。それを破るように、黒子がもそもそとパンを齧りながら訪ねた。

「高尾の友人だ。何度か会った」
「そうですか」
「お前はどうなのだ」
「以前お世話になった担当さんのお友達の妹さんです。今日初めて会いました」
「それは・・・知り合いと呼べる範囲ではないのだよ・・・」
「はい。・・なので、緑間君に会えて正直ほっとしました」
「・・・そうか」
「・・・・はい」
「・・・・・・」
「・・・・」

 またもや沈黙が訪れて、今度は緑間が、取り繕うように口を開いた。

「・・・・・美味いな」
「・・・ええ、良心的なお値段の割に美味しいですよね」
「そういえばお前は、この間の続編を書いているのではなかったのか?」
「ええ、今日は担当さんと打ち合わせに・・・そうしたら会社で急遽頼まれて」
「そうか」
「あ、実は今プロットあるんですけど。読みます?」
「いや、いい。楽しみに待っておく」
「でもいつも、書店に出る前に皆さんに配ってますし、詰まったら意見いただいてますし。・・・えと・・・」
「・・・・。あとで読ませてもらう。・・・ここじゃ、汚れるだろう」
「え、ああ・・そうですね、そうでした。・・・気付きませんでした」
「・・・・」
「・・・・・」
「・・・・まさか、こんな所で会うとはな」
「そ、うですね、奇遇というか、なんだか変な感じですね」

 変な感じもいいところである。まるで部屋にはじめて彼女をあげた時、不在である筈の母親が洗濯物をもって入ってきてしまった時のような、変な気まずさがあった。

「・・・」
「・・・・緑間君は、恋人はいないんですか」
「・・・先月、皆で会ったばかりだろうが」
「ああ、そうですね、・・・いたらこんなとこ参加してませんよね・・・」
「・・・お前は・・・いや・・・いい」
「はっきり言ってくれて構いませんよ。ええ、いませんよ。一人になりましたよ」
「え?待て。お前確か先月・・・・」
「だから、お一人様になっちゃったんですよ」
「何?どういう事だ。お前それは・・・」


「あの〜〜〜・・・」
 はっとして、振り返る。いつの間にヒートアップしていたのか。
 幹事だと名乗った男女二人が緑間と黒子のただならぬ雰囲気を伺うようにして、
「もうお開きにするけど・・・」
 と、解散の旨を告げた。



::




 二次会は各自で、と各々気に入った相手と帰っていったらしい。自分の発言に戸惑ってしまったのか、席をたったはいいものの黒子はバッグを掴む手もおぼつかないようで、緑間はさっさと彼女からバッグを奪って中の財布から会費を払ってしまった。高校の時に綺麗さっぱり和解していらい、キセキの世代と呼ばれていた彼らとマネージャーは頻繁に会うようになり、それは今年全員が三十五となっても変わらない。数ヶ月にいっぺんは誰かしら顔を合わせており、たとえ七人全員そろうのが年に一回となってしまっても、彼らは未だに濃厚な付き合いを続けている。遠慮などという物はとうの昔に紫原が食べてしまって、だからこそ緑間もためらう事無く黒子の財布に手をつっこむ事が出来た。
 そんな二人を見て、なんだかすっかり出来上がっちゃったみたいね、とこちらもすっかり出来上がった様子の(事情を何もしらない)幹事カップルは、緑間達を微笑ましく見つめると、じゃあこれで、とさっさと去ってしまった。


 ぽつん、と取り残された二人は、ため息をつき合い。少し酔いの回っている黒子を誘導するように手をつなぐ。その手を肘にもってこさせて、緑間は歩き始めた。ここから一駅分程あるいた所はすっかり都心部だ。何をするにももってこいだし、何よりお互いの住まいから近い。とりあえず、酒を買いたい。そんな事を思いながら、緑間はきゅ、と自分の肘を小さな手で握る黒子に見られているのも知らず、歩き始めた。



::



「・・・・黒子」
「はい」
「さっきの事だが」
「・・・・」
 連携している路線の違う同名駅のを中心としたファッション街を闊歩しながら、緑間はなんとか最後あのレストランで交わしていた内容に話を戻そうとしていた。けれどその話を蒸し返そうとするたびに黒子はぷい、と顔を背け。ひかれていた筈の腕を逆にひいて目についた店に入っていった。かれこれ一時間、緑間は書店、雑貨ショップ、ベーカリーと黒子につき合ってしまった。唯一の幸いは、緑間が何度話を蒸し返して、それを何度黒子が遮ろうとも、彼女が掴んだ緑間の肘を放そうとしない事だろうか。書店では二人して話題の新刊を語り合い、緑間が何気なく黒子の新書が平積みにされたスペースの広さを計ったり、雑貨ショップではデザイン性や機能性などを吟味しつつお互い物を選んだり、ベーカリーでは黒子が明日の朝に食べるバケットを買ったり。そして四つ目に入ったレディスファッションの店では、ヤケ買いのように適当なオーバーサイズのチュニックを手に取って購入しようとした黒子を慌てて止めて、緑間は彼女に似合いのワンピースを選んでしまった。

 まるでデートの様。
 なんとなく、そんな事を頭の片隅に思いながら、緑間はようやく黒子の手を引きながら帰路についていた。片手には黒子が購入した数冊の本とワンピース。黒子はベーカリーの袋をもって、とぼとぼと緑間にひかれるがままに自分の家へと向かっている。緑間を含めキセキ達は皆時間を見つけては彼女に会いにいく。そう広くもないが狭くもない独りの部屋なので、ホームパーティーをするにはもってこいなのだ。
 人生三十五年、さすがに彼女は何人も出来た。大学進学を機に緑間はほんの少しだけバスケからは距離を置き、医者となるべく勉強を最優先事項に設定した。そうすると自ずと時間に少し余裕が出来て、緑間は何度か恋人を作ったのだ。そんな彼女達としたデートと、今日の黒子との行動はよく似ていた。けれど緑間は、こんな穏やかではいられなかった。今日はどうしても「一人になりました」のくだりが聞きたくて焦ってはいたけれど、それでも黒子とこうして店を物色などして回る事を少しも苦痛と思わなかった。むしろ心地よささえ感じていて。数年前まで同じ様に彼女とデートをしていても、なぜ服を選ぶのにここまで時間をかけるのか、何故化粧品を選ぶのにどちらがいいか聞いてくるのか、何故活字といえばファッション雑誌しか読まないのか。そんな風に思いながら連れ回されてばかりいたようなデートに、いつも辟易していた。こうしてつないでいる手から伝わるぬくもりも、ひどく暖かい。極限までのびた爪が肌に突き刺さるなんて事もなくて、緑間はゆったりと、それでいて力を込めて、手を握り直した。


::





 つったん、つったん。

 先ほどから、黒子の足取りが重い。疲れたのか、と初めは気にせず歩いていたのだが、途中でしっかりと握っていた筈の手が抜けてしまった。

「どうしたのだよ、さっさと歩・・・」
 け、と言いかけて振り向いた緑間は、ぎょっとした。数メートル後ろの所で、黒子がぼろぼろと静かに涙をこぼしていたのだ。何か言い過ぎたか、と慌てて駆け寄り、両手で頬を包んでハンカチでそっと涙を拭う。ほんの少しにじんだマスカラがハンカチについて、それを見た黒子が、無表情のまま自嘲するかのようにぽつりと呟いた。
「ウォータープルーフのはずなんですけどね」
「・・・黒子」
 ぱたぱた、と瞬きした際にまつげがまた水分を跳ねる。緑間の指にも跳ねたにじんだマスカラをごめんなさい、といいながら拭って、黒子はまた呟いた。
「バカみたいでしょう、ボク普段こんなお化粧なんてしないのに、マスカラなんてつけて、どうせ気付かれないのにね、上向きロングとか、バカみたいでしょう、言っていいんですよ言っちゃってください、なれない事するなって、似合ってない、って、言っちゃっていいんですよ?緑間君」
 あまり口数の多くない黒子が、堰を切ったように喋りだす。自嘲げなそれはまるで、押さえていた何かを、溢れ出しそうになっていた何かを、どうにかして収めようとしながらも失敗しているようで。
「なんとか言ったらどうなんです。どうしたんだ、今日のお前はおかしいって。衝動買いみたいに本を買ってパンを買ってワンピースを買って。君を連れ回して。いい加減にしろって怒鳴ってくれればいいのに。」
 そういって、黒子は緑間から紙袋をひったくって地に落とした。そのまま両手で顔を覆って肩を振るわす。ほんの少しだけ巻かれた毛先が、淡い色のフェミニンなワンピースが、上品なストールが、控えめなブーティが、一緒になって揺れた。

 そしてそんな黒子を、緑間は呆然としてしばらくそのまま、見つめ続けた。


::





 こいつは、無防備だ。

 幸いにして中身の零れでなかった紙袋を全て片手で掴んで、緑間はしばらくしてから黒子の手を引いた。今度はしっかりと指を絡ませて、否応無しに歩けるように力強く引っ張っていく。彼女のマンションにたどり着き、部屋番号を入力してから指紋を認証させる。彼女の部屋のロックには、六人の他人の指紋が認証されているのだ。エレベーターに乗り込み、迷わず階数を押す。機械的な音を響かせるエレベーターの中、黒子がすんすんと涙をこぼす音ばかりこだました。玄関脇においてある、二重底になっている植木鉢から鍵をとって差し込み、玄関を開けた。

「飲め」
 黒子をソファに座らせると、緑間は勝手知ったるとばかりにキッチンに入った。大きめのグラスに氷を入れ、水道水で満たして無理矢理小さな手のひらに握らせる。自分にも同じ物を作ってテーブルに置き、緑間はジャケットをマフラーを脱いで椅子に放った。ネクタイを緩め、シャツのボタンを一個開ける。黒子も同じ様にストールとストッキングをぽいと放ってしまった。ぐずぐずと鼻をならしながらちびちびと水を飲む。寒そうに足をすりあわせているのを見て、緑間はまた当然のようにクローゼットを開けてレッグウォーマーを取り出してはかせた。

 広い部屋だ。かれこれ十年近くも同じ部屋で、たった独りで暮らすのはどんな気分だろう。一人暮らしという意味では緑間も同じだが、彼は三十になるまで実家暮らしだった。両親が古い気質で、家督を継ぐ長男が家を出て何をするのかという思いが強い。そんな彼らを説き伏せて五年前にやっと家を出た。それからずっと恋人も作らず一人だが、医者という職業が忙しく、今の所寂しいと思った事は無い。けれど黒子は、作家という職業の性質上、一日のほとんどの時間をこの部屋で過ごしている。気分転換にカフェやファミレスでプロットや原稿を書いていても、それでも帰ればやはり独りだ。かつての仲間が、かつての恋人がどんどん結婚をしていく中、不変的な毎日を独りで過ごすのは一体どんな気分なのだろう。
 黒子の隣に座り、水を飲みながら緑間はしばらくそんな事を考えていた。するとふと、目の端に段ボール箱がとまった。隠しているわけでは無いが、ぱっと見見えないように置かれている。気になって半開きのふたを開けると、中身は大凡黒子には不釣り合いな、はっきり言ってしまえば男物の小物やちょっとした服の数々が、無造作に詰め込まれていた。緑間が、驚きに目を見開く。そう、緑間達は、黒子が数年前から一人の男と交際していたのを知っている。あまり多くを語らない彼女だから、その年数からして上手くいっているのだ、と勝手に判断していた。そろそろ結婚かもしれない。そんな事すらキセキ内で話し合っていた。けれど、その恋人の存在を主張する様な物の数々がこれ一つに詰め込まれているという事は。

 そんな馬鹿な、と、答えは解りきっているのに、それでも呆然とさせるに値する事実を目の当たりにした緑間は、未だに静かに涙をこぼし続ける黒子を、じっと見ていた。



::




「五年」
 しゃくりあげてばかりいた肩がようやく落ち着きを見せ始めた頃、黒子は静かに口を開いた。その声があまりに小さくて、緑間は二人の間にあるクッション一つ分程の距離を詰めるかどうか一瞬まよって、そしてその距離のままソファにもたれた。
「五年、お付き合いしてたんです。とっても、いい人で・・・一時期は同棲まがいの事もしてたんですよ。ボクが、彼の家にいたんですけど・・・原稿が大詰めの時だけここに帰ってきて・・・」
 思い出したのだろう。う、と小さく呻きながら再び泣き始めた彼女の背中をゆっくりとさすって、緑間は辛抱強くまった。彼女をこうまで追いつめた男は、一体何をしたのだろう。静かな怒りが緑間の心を染める。まさか。
「・・・浮気とか」
 まさか、浮気。推測は確信に変わって、緑間はその瞬間、黒子が落ち着いたらすぐにキセキに連絡をまわす事を心に誓った。絶対に許さないのだよ。そう思ったけれど、次に続いた言葉で、それは霧散した。
「浮気とか、もう好きじゃなくなっただとか、飽きたとか、そういう理由だったなら、まだ納得はできました。でも・・・解らないですよ?『僕には君が何を考えているかわからないんだ』。五年も・・・五年も一緒にいて、何を考えているか解らない、だなんて・・・ボク、そんなにバリアはってました?一緒にいて、とても落ち着いたのに。」
 誰かに、気付いてもらえない。誰かに、解ってもらえない。
 それは黒子にとって、一種のワザであると同時にコンプレックスだ。バスケの世界に身を置いている間は、自分のこの性質は武器となった。敵に気付かれる事無く、味方をフルサポートする為の最大の武器だった。けれど日常生活に戻ってしまうと、それは逆に矛となって自分を襲った。好きな人に気付いてもらえない。好きな人にわかってもらえない。大人になって、出来た幾人かの恋人は、皆黒子を上手く認識できなかった。黒子が隣に立つといつも驚かれた。びっくりさせるな、と怒鳴られて。口数が多くないのも相まって、本当は俺の事、好きじゃないんだろう?なんて、いわれもした。
「はっきりとそれが結婚じゃなくとも、どんな形でもいいからこの先も一緒にいられたらいいな、って考えてたんですよ。それくらい、安心してて、信頼してて、・・・・好きだったのに」
 何度も何度も、想いを口にしたのに。

「・・・わからない、って言われる、なんて」



::




「・・・最近、そろそろ親に言われるようになったんです。結婚しないのかって」
 テレビから小さく漏れるバラエティーの笑い声が、部屋の中の沈黙を防いだ。焦点の定まらない瞳でぼんやりとテレビの画面をみながら、黒子は膝をかかえながらひたすらに、今までを懺悔するかのように、緑間に語った。
「もう・・・四捨五入したら、世間で言う、アラフォーですし」
 おばさんですし、と笑う彼女は、実のところまったく三十代に見えない。どうやってその若さを維持しているのかと桃井が嘆きうらやむ程に、黒子の顔には大した皺は見られない。今でもよく大学生くらいの子達に同年代と間違われナンパされるのを、キセキ達は知っている。
「一生独身でいる気なの?ってね、・・・・・」


 緑間は、何が彼女の中でずっとひっかかっているのか、知っている。青峰だ。
 青峰は、渡米するまでの間、ずっと黒子とつき合っていた。彼は浮気をして、そしてあろう事かその浮気相手を妊娠させたのだ。そうして別れて、彼は浮気相手と結婚し、渡米した。
「青峰君との、こと、は・・・・正直、反省してるんですよ」
 当時、キセキ達は徹底的に青峰を糾弾した。青峰はそれを全て甘んじて受けていた。むしろ皆を押さえて青峰をかばっていたのは、他ならぬ黒子だった。
「彼・・・の上にあぐらをかいていたつもりは・・・なかったんですけど・・・。どこかで、僕たちはバスケでつながってるっていう変な自信があって・・・その時ボクはもう、バスケをやっていなかったのに・・・」
 変な話ですよね、そういって、黒子はじっとテレビを見つめた。きっと、青峰と過ごした日々を思い出しているのだろう。その眼差しは傷だらけで、でも愛しさに溢れていて、緑間はついつい、黒子の頭を引き寄せて、その小さな頭を撫でた。
「女としての自分を磨いていなかった自覚はあります。・・・結局僕は、バスケをしている青峰君が好きだったのかもしれないですね。彼が僕をいつまでも試合のパートナーみたいにテツ、って呼んでくれるから、妙な自信をもっていて・・・・」
 彼のすべてを、好きなつもりだったけれど・・・・。
「だから、いつまでも友達気分な彼女に嫌気がさして、胸のおっきい可愛らしい女の子になびいちゃっても、仕方のない事だったんです」

 青峰と黒子は、以来まともに話せていない。黒子は自分が悪いという気持ちが強くて、青峰に気にしないでほしいと、また前の様に、(無理だとわかっていても)接してほしいと思っているのに対して、青峰はひたすら黒子に対して罪悪感を感じている。彼は責任で浮気相手と結婚したのだ。今はそれなりに上手くやっているのだろう。それでも青峰にとって黒子は未だに特別な存在で、心から愛している人だったから。そう簡単に、自分を許せない。皆で集まるときも、黒子とだけは目を合わせようとしないのだ。ごめん、ごめん、と黒子に対して土下座をしたあの日の青峰の姿を、緑間は今でもよく覚えている。

「・・・だから、ですかね。合コンに誘われて、気が乗らなかったのに。数時間後には、おしゃれをしてお化粧をして、果てには髪の毛までいじくって・・・
僕は、体裁を繕いたいのかも。せめて見た目だけでも、きちんとしているように見せたいのかもしれません。ありのままの自分をさらけ出して相手の想いにあぐらをかいて、また、無意識にひどい女になっているんじゃないか。それが、怖いんです。」

「彼にも・・・いいとこばっかり見せようとしていたんでしょうか。だから彼は、僕の事がわからないなんて、いったんでしょうか」

 どう思いますか、緑間君。
 そういって見上げてきた彼女の目は傷だらけで。緑間は、そうだ、ともそうじゃない、とも言えなかった。



::




「・・・・結婚の事は、最近俺もよく両親に言われるのだよ」
 水を全て飲み干して、緑間はそれをタン、とコーヒーテーブルに戻した。黒子がここまで、緑間にさらけだしてくれたのだ。知人はおろかキセキ達にも話した事のなかった思いを口にしようと決意して、緑間は静かに口を開いた。
「俺の家が古いのは知っているだろう。時代錯誤な両親は、二人とも時代錯誤な家に産まれてな。本当ならば俺は、既に誰かと結婚をして、跡取り息子を一人くらいもうけていなければならない筈なのだよ。」
 何十ときた見合い話も、もう何度も蹴ってきた。どうしても、会うだけでいいから。そんな文句がつく話には、本当に話をするだけで帰った。何とはなしに、自分は誰かを好きになる事などできないのではないだろうか。そんな風にすら思っていた。
「俺ももういい年だ。もう昔のように、自分の信念をごり押ししてまで貫き通せる程、俺はもう子供ではなくなったのだよ。」
 いつの頃からか、少しずつラッキーアイテムを用意してから迎える日が減っていった。社会にでれば、それこそ運気やラッキーアイテムでどうにかならないものがある事も解った。どれだけ自分の運気がよくとも、周りの人間のとばっちりを受けて最悪の日になる。社会は食物連鎖のように人間と人間が複雑に絡み合っていて、世間一般で言う所の、「占いなんていわば願掛け」。それの意味する所を知った。
「それでも俺は、一生を共にする人を選ぶのに、妥協をしたくない。たとえその運命の人を見つけるのが何十年先でも、俺は相手を待つのだよ。たとえ信念を形で表す事ができなくなっても、俺はバスケがそうだったように、医者という職がそうだったように、一生の相手も、一生でも待つつもりだ。その結果誰かを傷つける事になっても、俺は俺の人生を俺の信念にそって生きる。何事にも最上を求めて何が悪い?」
 緑間は、自分がどんな風に、どんな人たちとつき合ってきたのかを赤裸々に黒子に話した。どんなデートをしたのか。どんな事を言うように言われたのか。その時の感情も込みで、緑間は自分の恋愛遍歴を話してしまった。言わなくて良い様な事まで言った気がする。

 自分が少し変わっている事は自覚している。そしてそんな自分についてこれる女の子がそうそういない事も。いるとしたら隣にいるお前くらいだ。そんな事すら、言った気がする。


::






 それから夜通し、緑間と黒子はいつの間にか寄り添って、指を絡めながら話をしていた。視線が絡む事は無かったけれど、二人はひたすらに話をした。中学の時、新作のお菓子で盛り上がった事。高校の時に黄瀬が泥沼に足をつっこんで赤司の顔を汚した事。青峰の恥ずかしい話。くだらない事から、深刻な事まで。ふたりはずっと、距離を埋めるように、話をしていた。

「・・・ねえ・・・緑間君」

 そろそろ空も白む頃か、という時だった。夜もふけるにつれ二人は空腹を覚え、いつの間にかテーブルの上にはグラスにコーヒーカップに紅茶の入ったティーカップ。スナック菓子から酒のつまみ、果てにはスイーツの残骸まで残っていた。五分か、十分か。そんな短い時間を、二人で寄り添いながらまどろんでいた、直後だった。

「ボクたち・・・お付き合いしてみません?」

 静かに、そうっと、黒子が言った。

「A型の僕と、B型の君では、あまり相性はよくないかもしれないですけど・・・。でも、僕のうぬぼれでなければ、君の事はよく知っているつもりです。君のストイックな姿勢も、自分の信じた物を貫き通す所も、好きですよ。僕たちは共通の趣味が多いですから、今日みたいにきっと話題には事欠かないでしょうし、君の食事の好みも知っていますよ。君も・・・君も、僕の事、よく知っていてくれると、思うんですけど・・・」

 ゆっくりと視線を下げると、真新しい朝日が、ちょうど黒子の顔を照らしていた。昨日の化粧は残ったままで、泣きはらしたまぶたは腫れぼったくて、にじんだマスカラの混じった涙の跡が、薄く黒く跡を残している。髪はぼさぼさで服はよれよれで、唇はかさかさで、声は掠れていて。あまり表情を映さないかんばせが、今は薄く桃色に染まっている。じっと見つめていると、慌てたように、静かに苦笑した。

「そ、それにほら、残り物には福があるって、いいます、し・・・」

 いつの間にか緑間は、黒子をきつく抱きしめていた。昨日の化粧は残ったままで、泣きはらしたまぶたは腫れぼったくて、にじんだマスカラの混じった涙の跡が、薄く黒く跡を残している。髪はぼさぼさで服はよれよれで、唇はかさかさで、声は掠れていて。お世辞にも良いと言えない出で立ちに、それでもいいと思ってしまった。愛しいと、そう思ってしまった。緑間ははじめて、出会って二十年以上たってはじめて、黒子を抱きしめていた。

「結婚してくれ」

 きつく抱きしめたままそう言うと、黒子がはっと息をのんだ。ず、と小さく鼻をすする音がする。きっと涙が溢れているのだろう。黒子はそろそろと緑間の広い背中に腕をまわして、そして次の瞬間にはきつく抱きしめかえしていた。

「好きです・・・・」

 一時の迷いではないと、確信は無いのになぜか思えた。きっと一生離れない。

「好きだ」

 きっと、二十年前から好きだったのだ。








で、とりあえず婚約。ちなみに番外編→こちら

2013年7月24日(支部初出2012年6月11日)