あの日から、約三ヶ月。緑間と黒子は、穏やかに関係を深めていった。




緑間君と黒子さん、35歳。【番外編】



 ハンドバッグの中の携帯の振動を感じて、黒子はぴたりとキーボードを叩く手を止めた。時計を見れば、約束の時間からゆうに三十分は過ぎている。メールの主は彼だろうか。パカ、と既に六年は使っていて所々ガタが来ている携帯を開いて、黒子は着信をチェックした。メールの送り主は、やはり彼。いつも以上に短い文面は、それだけ彼の焦りを表している。
「ゆ、っ、くり・・・き、て・・・来て・・・く、だ、さ、い、ね。と」
 もっぱらアナログ人間である黒子は、未だにメールが得意じゃない。パソコンはお手の物だが、こと携帯となると彼女は筆無精となってしまう。一文字ずつ丁寧に打って、彼女は送信した。マグに僅かに残っていたラテを飲み干す。すっかり冷めてしまっていたようで、あまり美味しくなかった。もう一杯、追加するべきでしょうか。彼が来るまでの時間を計算しながら、少し離れたところにあるカウンターの上に掲げられたメニューを見る。何も飲んでいないのに居座り続けるのもなんだか悪い気がして、黒子は財布をもって二人掛けのソファから立ち上がった。



「お待たせしました、ロイヤルミルクティーです」
「ありがとうございます」
「くろ・・・・テツナ!」
 おおきめのマグカップに並々と淹れられたミルクティーを受けとろうとした時、焦ったような声が黒子を呼んだ。振り向けば、いつになく息を乱した自分の婚約者ーーーこう呼ぶのは未だに照れくさいものがあるのだがーーーがいた。
「み、・・・真太郎君」
「遅れて、すまない」
「大丈夫ですよ。何か飲みます?ああ、その前に荷物置いた方がいいですよね」
 あっちです、と自分のノートパソコンが置かれたコーヒーテーブルを指して、黒子はほんの少しかかとをあげた。デザイン重視なのか、ここのビバレッジの受け取りカウンターはすこし高めに作られている。フラペチーノやテイクアウトの時のようにふたがついている時は難なくとれるのだが、マグカップで、しかも暖かい飲み物が並々と注がれているとなると、中身をみながらでないともった拍子にこぼしそうで怖い。
「あ」
 いざ、という所でひょいとマグカップを長い指がとらえ、あごをくいと向けられて促される。黒子のミルクティーをもったままスタスタと行ってしまう。そんな後ろ姿を見てもう、と呆れたように笑うと、黒子はその背中を追いかけた。


 今日は定時であがれる筈が、いざ帰ろうとした時に急患が入ってきてしまって、診察した。大した事は無かったが、子供の変貌に母親がパニックになってしまい、症状が軽いという事を納得してもらうのに時間がかかった。
 だいたいこんな事を矢継ぎ早に話しながら、緑間は黒子に遅れた事を詫びた。気にしていないから、そんなに申し訳なさそうにしないで、と背中をさすれば落ち着いたのか、緑間はようやく上着を脱いでソファに背中を預けた。
「今日もおつかれさまです」
「ありがとう」
「何か飲みます?」
「そうだな・・・」
「買ってきますよ」
「自分で行く」
「お疲れなんですから、座っていてください」
 渋々差し出してくる財布を受け取り、再びカウンターに戻る。コーヒーが飲みたいだろうけども、ああ見えてキセキの中でも1、2を争う甘味好きだから、カフェモカなんかがいいかもしれない。

 無事飲み物を買って来ると(今度は何かを察してくれたのか、スタッフはカウンター越しに身を乗り出して手渡ししてくれた)、緑間はちょうど、ようやく息が落ち着いたのか、気怠気にネクタイを緩めていた。
「お待たせしました」
「すまない」
 手渡し、隣に座る。閉じた筈のノートパソコンが少しだけ開いているのに気付いて、黒子は声を上げた。
「あっ・・・見たんですか!?」
「え?あ、あぁ、いや・・・見てない。原稿だろうと思って、興味があったから、見ようとは思ったんだが、」
 失礼だろうと思って、とモゴモゴ視線をそらして言う緑間に、ほっと息をついて、黒子は肩にもたれかかった。
「・・・ダメです。これだけは、絶対ダメ。」
 ちょっとあっち向いててください。
 そういって、律儀に顔を大きく背けた緑間を確認してから画面を呼び出す。しっかりと保存して画面を閉じてから、別の原稿を開いた。
「・・・こっちの原稿ならいいですよ」
「?・・今、二本も抱えていたか?」
「・・・・まぁ」
「そうか」
 お互い仕事の事であれこれと詮索はしないが、黒子は大抵詰まった時に緑間に語って聞かせたり、いくつかの出版社からのオファーをもらった時、どこにすべきかを緑間と話したりするため、緑間に限ってはだいたい黒子の仕事状況を把握している。それが、少し腑に落ちない態度で交わされたのが気になる。・・・が、小さい頭を肩に凭れるだけでなく、小さい手を肘にも絡めてくるのに気を良くしてしまって、緑間は考えるのをやめた。
「全部任せっきりで、済まない。」
「いいえ。僕、時間いくらでも作れますから」



 数ヶ月つき合って、緑間と黒子はとうとう、同棲を決めた。


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 赤司邸の縁側で、黒子は赤司と酒を呑んでいた。

「綺麗な月ですねぇ」
「それは告白?テツナ」
「なんでこの流れで・・・」
 くすくすと笑いあって、黒子は赤司にもう一杯注いだ。ありがとうといって一気に呷る赤司はラフな格好をしていて、雰囲気も柔らかで。なんとなくだが、ああ、祝福されているのだな、と感じた。
「真太郎とテツナが、ね」
「意外ですか?」
「いいや?」
 うっそりと笑うその顔は嘘か本当かは判別しづらいけれども、存外大きい手のひらがぎゅ、と手を握ってきたので、これまたなんとなくだが、全て本当なのだろうなと思った。

「あれから、二十年以上・・・僕を皮切りに、皆どんどん結婚をしていったけれど、結構僕の中では皆の将来の相手のイメージというのがあったんだ。涼太の相手はこうだろうなとか、敦はこういう人がいいんじゃないかな、とかね。本当は、お前と大輝が僕の中では一番しっくりきていたんだけど」
 じく、と傷が痛む。赤司はこうみえて、一番二人の仲を応援していてくれたのだ。
「でも、なんていうかな。真太郎とお前、と聞いた時にね。ふっと情景が浮かんだよ。ああそうか、真太郎はテツナで、テツナは真太郎だったか、と。僕自身も、涼太も、敦も、さつきも、みんな僕の予想通りだったんだけど、お前達三人は見事に勘が外れたな」
 そういって笑う赤司の横顔には、年相応に皺が刻まれている。高校で既に色素が薄くなっていた左目はもうほぼ見えていない。光と影を判別できる程度だ。無理に見ようとするからなのか、それとも別の何かか、左目の下にはうっすらと隈が出来ている。
「・・・・老けましたね」
「さすがの僕も、老いには勝てないよ。まぁ、三十半ばで年寄りくさい事は言いたくないけれど」
「青峰君、昔言ってたじゃないですか、『28越したら女なんて皆ババァだろ』って。その二十八を大幅に越してしまった今では腹が立ちますね」
「テツナは今でも、可愛いよ」
「・・・ありがとうございます・・・?」
「なんで疑問系?」
「や、アラフォーにもなると可愛いという言葉に対して素直に頷けないというか・・?」
「かわいいよ」
 月明かりに照らされる赤司の顔は、いつもの事ながら彫刻みたいに美しかった。滑らかで、それでいてそれなりに皺が刻まれて節くれ立っている指に頬を撫でられる。思わず指で左目を撫で返すと、赤司はその手を取って頬に当てた。
「恋をしているお前はね、可愛いよ」


「婚約おめでとう、テツナ」




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「おいしい?」
「はい・・・おいしいです・・・・あつしくんさすがですあつしくん・・・」
「もっと食べて〜これも食べて〜。俺ねー、ミドチンと黒ちんが結婚するって聞いてからねー、バニラシェイク味とおしるこ味のスイーツ寝ないで考えたんだよ〜〜。もらって?」
「いただきますありがとうございますあつしくんだいすきです」
「どういたしまして俺も黒ちん大好きー。あ、ねえ結婚式すんの?」
「あ、はいやります。和式のを」
「披露宴は?」
「一応やります」
「ウェディングドレスとかのは?」
「んー、どうでしょう?あまり派手なのはやりたくないんですよね。ちょっと恥ずかしいですし。ああでも、披露宴とかで出る美味しいものには心惹かれますよね・・・」
「ふーん。あっじゃあさ、仲間内だけで披露宴やろーよ。俺ね、二人の為のでっかいケーキ焼くよ。ご飯の後のデザートも作るよ!引き出物用の焼き菓子も作るよ〜!」
「な、なんと・・・!そ、それはとても魅惑的ですね・・・あっどうしましょう涎出てきました」
「でしょ〜。あ、これも食べて。これねー、俺の奥さんから。おめでとーだって」
「わあ、ありがとうございます。メッセージ入りですか?」
「うん。俺えーご読めないけど」
「凄いですね、さすがショコラティエさんです・・・・食べるのもったいないです」
「おれが食べちゃうよ」
「ダメですダメです、あっ写真とります」
「俺も入る」
「はい、いちたすいちは〜?」
「に〜」
「直接お礼言いたいです」
「今仕事中だからな〜。あ、じゃあ黒ちんが食べてるとこ撮る」
「あ、はい」
「はい、いちたすいちは〜」
「に〜」

「あっ、そーいえばおめでとう」

「あっ、そういえば。ありがとうございます」



::





『Wait a sec, HEY! I'm on the phone so shut up!』
「・・・いま忙しいですか?」
『や、大丈夫・・・あっあーもー!Come here you little jerk! Stop running around!』
『Heeeey stop! Daaad! C'mon, I said I'm sorry!』
『Yeah, right. Now get up to your room and study, K?』
『Fine, fine...』
『わりー』
「いいえ。ジュニア元気そうですね?」
『あー。もーあいつ日に日に暴れまわるようになってんだけど。お前に懐いてっからさー、さっきもテツナに電話すんだって言ったらWhat!? Wait wait wait wait I wanna talk to her toooo!! DAAAAAAADとか言ってうるさくてよ・・・』
「え?なんて?」
『俺もテツナと話したいってさ』
「僕、英語片言なんですけど・・・」
『あいつも日本語カタコトだしな・・・。お前ら会った時いつもどうやって会話してんの?』
「身振り手振りと勘ですね」
『ははっ、すげえな』

『おー、黒子』
「はい?」
『おめでとう』
「・・・ありがとうございます。次からは、緑間って呼んでくださいね」
『え。・・・あーそっか、そーだよなぁ』
「はい。緑間さんになるんです」
『んじゃやっぱさっきのなし』


『おめでとう、テツナ』





::





「今日は敦君に会ってきました」
「そうか」
 暖かいミルクティーを二人分淹れてから隣に座る。段ボール箱だらけの部屋はまだまだ圧迫感があるのに、ソファに二人並んで座るだけでなんだか落ち着いた。カップをもっていない方の指が、やわやわと握りこまれる。ちょっとずつ確かめるように指を撫でていく彼に、むずがゆい様な愛おしさが湧いた。
(・・・可愛いんですよね・・・)
 未だに、手をつなぐのがちょっと照れくさいのだ。

「赤司君も敦君も、祝福してくれましたよ?」
「そうか。」
「赤司君は、お似合いだねって言ってくれました」
「・・・・・それは・・・本当に赤司だったのか・・・?」
「本当ですよ?」
 ほんの少しだけ青ざめた緑間にくすりと笑う。身を乗り出して頬に口づけた。うっすらと赤く染まった彼の顔にどうしても笑いがこみ上げてしまって、黒子は隠すようにうつむいた。ヘソを曲げられたらかなわない。
「こら、笑うな」
「ふっ、ご、ごめんなさ」
 顔をぐいと引っ張られて、静かに唇を重ねられる。こんな穏やかな幸せがやってくるなんて、ちょっと前の黒子には想像もつかなかった。ありがとう、ありがとう。
「泣いてるのか?」
「はい」







 黒子テツナ。新緑が眩しい五月に、緑間テツナになります。



はいはい結婚結婚。2012の真ちゃんバースデーを記念して、 七月一日から毎日00:00ぴったりに支部に真ちゃんに関係するお話を投稿する、というプチ自分企画をやりまして、このお話は第一弾でした。

2013年7月24日(支部初出2012年7月1日 00:00)