2. とどかない



届け届け届け!



いいな、と黒子は思った。緑間くんが、最近コート全範囲でうてるようにシュート練習を始めた。 最初は全く成功しなかった、味方コートからのシュートも、十回に二回程度ではあるけれども成功しはじめ、 黒子は素直にすごいな、と思ったのだ。
黒子は小学四年から六年までの三年間、小学校でバスケをやっていたし、 他の子と比べるとパスくらいしか誇れるものがなかったけれど、それでもバスケが好きだったから、 ぜひ中学でも続けたいと思って入学した、帝光中学校。 バスケで有名なその学校に入れば思う存分バスケが出来ると思っていたのに、 何事にも事前に準備を怠らないはずの黒子はすっかり忘れていたのか、帝光に女子バスケ部がなかったのを知らなかった。 仕方ないから、とマネージャーとしてバスケ部に入ったまでは、よかったのに・・・。
いつの間にか十人に一人の天才が五人揃った、 『キセキの世代』専属マネージャーとして任命されてしまい、中学二年も、終了間近。 この二年間、そして黄瀬が入ってからの一年間、ずっと五人を見てきたけれど。 いつの間にか、バスケがやりたい、という気持ちが、五人のバスケを支えたい、という気持ちに変わっていた。
それは五人のプレイスタイルが五人それぞれあまりにも違っていて面白かったり、 天才と呼ばれて天狗になっているくせに練習は人一倍する所が尊敬できたり、 日に日に技量をあげて行くのが楽しみであったり、原因は様々だったけれど。 黒子がそんな様子を見てて一番楽しい、と思えるのが、緑間の練習だった。
シュート練習のときは、シュートを放った後に必ず左手首をくるりとまわして、右手でなぞって、 顔面に持ってきて爪を見て、最後に指を動かしてシュートタッチを確認して。 少しでも違和感があるとすぐに眉をしかめて、メガネを直してボールを持ち直すのだ。 そしてもう一度シュートを放ってみて、満足したら、ふんと尊大に鼻を鳴らして指を見るのだ。 どうだこの野郎、やってやったぞ、みたいな。
そんな様子がおかしくて面白くて、そしてちょっと可愛いな、なんて思ってみたりして。 そしてハッと我に帰るのだ。

他人のバスケばっかり見るなんて、嫌なのに。自分のバスケがしたいのに。 嫌なのに、嫌じゃないと思ってしまう事が、嫌だと思ってしまって、でも同時にこれでもいいなと思ってみたりして。 ぐるぐると自分でも嫌になってしまう感情が渦巻いて、そしてそれを振り払いたいがために緑間の練習に、 パス出しで付き合うようになって。

「・・・疲れたのか?黒子」
「いえ、大丈夫です」
いつの間にか黙り込んでしまっただろう、緑間が着替えて出てくるまで、 ロッカールームの前で突っ立っていた黒子は緑間に顔を覗き込まれて、慌てて首を振った。 そうか、と返した緑間は大きく曲げていた体をぐっと上げ、スポーツバッグを抱え直す。 158cmのままほとんどのびない(一年かけて一センチ伸びるか、のびないかの)黒子と、 中二の終わりで既に188cmに到達した緑間では、30cmもの身長差がある。 必然的に緑間は黒子を見るとき、しゃがむ勢いで体を曲げなければいけないのだが――― それを申し訳ないと思うと同時に、嫌な顔一つせずにそれを行ってくれる緑間に感謝の意すら抱くのだ。
「そろそろ帰るのだよ、黒子」
「はい」
そう言って体育館の鍵を閉め、それをしまった鞄を持ち直す。 あわや取り落としそうになったその鞄を、頭上からひょいと長い腕が取り上げて。
「え」
「持ってやろう」
「で、でも」
疲れてるのに、と口を開こうとしたときには、既に緑間は校門に向かって歩き始めていた。 周りは既に暗くなり始め、このまま置いて行かれれば緑間を見失ってしまいそうだ。
「まっ・・まってください、緑間君!」
慌てて走りより、ぱしり、と黒子の鞄を持っている手を掴む。 けれど緑間と黒子では、黒子の肩あたりにようやく緑間の肘がくるくらいの身長差なのだ。 手を掴んだつもりだったのに、 体全体でまるで緑間と腕を組んでいるような体勢になってしまい、慌てて黒子は離れた。
「すっすいません!!」
ユニフォームがユニフォームだけに、普段からテーピングやマッサージなどの理由で腕には触れているくせに、 なぜか緑間のその、引き締まった太い腕の感触が腕に残り、黒子はなぜ気恥ずかしいのかも全く分からないまま、 赤面した状態で謝った。ほんの数秒、固まっていた緑間が口を開く。
「・・・謝る必要などないのだよ」
行くのだよ、と声をかけて再びすたすたと歩いて行ってしまった緑間をまた慌てて追いかけて、 黒子は今度は一歩後ろのところで緑間に声をかけた。
「緑間君、ぼく一人で持てますから」
「気にしなくて良いのだよ」
「気にします!緑間君、ハードな練習で、疲れてるん、ですから、」
基本的に、バスケにおいてマネ業とパスだし以外はからっきしダメな脆弱人間なのだ。 リーチの長い緑間に歩調をあわせていると、ペースが早くて息も絶え絶えになってしまう。
それに気づいたのか、ゆっくりと緑間が歩調を緩める。肩を並べたところで、 黒子はいつの間にか自分の息切れが収まっていた事に気づいた。
(・・・これ、は。ぼくに、歩調を合わせてくれてるんでしょうか・・・)
見上げれば、なんなのだよ、と見下ろしてくる緑間と目が合う。 何でもありません、と返して再び前を見据えるけれど、黒子はまたすぐに緑間をみあげた。
背、高いなぁ。
そんな事をぼんやりと考えて、黒子は緑間の体を目線で追っていった。 首筋、肩、腕、肘・・・手。 相変わらずテーピングで保護している左手と、そして、今は黒子の鞄を持っている、右手。
大きい、な・・・。
細い方だけれども黒子のよりは遥かに太くて、長くて、節くれ立っていて、 ボールにたくさん触っている所為でごつごつしている、男らしい手だ。 こんな人が自分と同じ学年なのだと思うと、黒子は性別の違いも忘れて自分の貧弱な体を恥じた。

いつの間にか駅までたどり着き、黒子はそこではた、と気づいた。 校門をでてすぐのところで、緑間と黒子は反対方向なのだ。 なのになぜ、黒子の家まで後数分という所の駅前まで、彼は一緒にいるのだろう。
「・・・あの、緑間君」
「何だ?」
「あの、君の家、ぼくのとは反対方向・・・ですよね?」
「そうだが?」
「こちらに何か、用事でもあるんですか・・・?」
「別にないのだよ」
「え、じゃあ」
なんで、と困惑気味に眉を寄せた黒子を、ようやく緑間が見下ろす。 下校しはじめてから、初めてまともに視線が合った。
「・・・お前の家はこっちだろう、黒子」
それだけ言ってまた一人歩き出してしまった緑間に、黒子は面食らってしまって。 数秒後、赤くなった顔を隠すように俯いた黒子は、ぎゅう、とスカートの裾を握りしめた。
(やさ、しい、なぁ・・・)


「黒子!」
「・・・あっ・・はい、すいません今行きます!」
みどりま、くん。
声に出そうとした名前は、なぜか喉の所まででかかったのに、口から発せられなくて。

(なんで、)
「・・・み」
どりまくん。


(緑間君、)
遠くなって行く大きな背中が、まぶしかった。



あんな人、ぼくは、知りません。

2009年7月25日