兄さんのご飯



「ん・・・」
スリ、という布擦れの音がして、燐はほんの少し覚醒した。長年の家事で培ってきた、朝のみ有効な体内時計というのはここでも発揮されて、自分のなんとはなしの腹のすき具合に徐々に眠気が冷めていく。ベッドの上では自由に動き回る尻尾をたしたしと軽く壁に叩き付けて、燐は枕に埋めていた顔を上げた。横を向けば、燐の尻尾の音に気付いた雪男が気まずげに苦笑していた。
「ごめん、起こしちゃった?兄さん」
「・・・ゆき・・・?」
「うん。おはよう」
「おはよう・・・・・あー・・?あれ?えっ今何時!?」
嫌な予感がさーっと頭の中を巡り、反射で飛び起きた燐は、慌ててベッド脇の目覚まし時計をつかんだ。
「あれ?」
見れば時計は自分がいつも起床している時刻をさしていて、燐はもういちどあれ、と首を傾げた。秒数を刻むはりがちっちと動いているから、壊れているということはない。
「ゆきお?」
「ごめんね、兄さん。ほんのさっき応援要請が入っちゃったんだ」
「え・・・メシは?」
「ごめん、食べてる暇ない」
「まじで?なんも食ってねぇの?」
「うん」
「だめだって!もうでる?時間ある?」
「うん、もうでる」
「五分待て!いや三分でいい、まってて!」

ダッとドアを蹴破るようにして出て行き、きっかり三分。息を切らした燐が雪男に手渡したのは、まだ直に触ると熱い程のおにぎり三つだった。 「時間無かったから焼鮭は無理だったけど、ゆきのすきな具いれたから!朝抜いちゃだめだぞ!」
「・・・・ありがとう」
なんだか朝からあったかいな。冬の朝は寒いのに、兄は裸足だ。傍に放ってあったスリッパを手に取ると、雪男は燐の肩を軽く押してベッドに座らせた。すっとスリッパをはかせる。一瞬の事に呆けた燐の目尻にちゅっとキスをおとして、雪男は鍵を取り出してドアの穴に差し込んだ。かちゃりとまわしながら、振り返る。
「いってきます、兄さん」
きょとんとしていた燐がぱちぱちと瞬きをして、そしてにこ、と笑った。
「はい、いってらっしゃい!」


(・・・寝起きだから?)
後ろ手にドアをしめて、雪男は今は別空間にいる兄を思い出してくすりと笑った。
(兄さん、ゆきって言ってたな)
しかも、ちょっと昔に戻ってたし。
本当は燐を起こさないようにこっそりと行くつもりだったのに。味気ないけれども今日は朝はコンビニで済まそうと思っていたから、毎日料理をしながら徐々にはっきりと覚醒していく燐の突然の行動にぽかぽかと胸が熱くなる。
(具、何だろう)
「いただきます」
燐の料理となればたとえそれがトーストであれ、雪男は座ってゆっくり味わって食べたいのだが、緊急の応援要請だ。仕方なく巾着から一つ目を取り出して、ラップをほどきながら雪男は歩き出した。ゆきのすきな具いれたから、と燐は言っていたけれども、ごま塩の振られたそれは暖かい白米といい塩梅に塩気がなじんでいて、これだから雪男は、たとえ白むすびでも燐のおむすびがすきなのだ。雪男の体格を考えて作られているそれは大きくて、塩味の白米の後に味のなにも無いのが少し続いた後に、具がやってくる。
(あ、梅だ)
美味しい。肘にひっかけた巾着をぷらぷらさせながら装備をもう片方の手で確認しつつ、雪男は道を急いだ。梅干しの酸っぱさが身にしみて、ぷるっと一瞬身をすくませながらも次の瞬間にはほわっとした暖かさが体を包んだ。もちろんこの梅干しも燐の手作りである。
「あー美味しい」
俄然やる気がわいてきた。今日はなんだって出来る気がして、雪男はご機嫌なままに携帯を取り出した。既に片手のおにぎりは二個目突入だ。携帯を操作しながら器用にラップをはがして、かぶりつく。一気に具まで到達して、あれ、と雪男は首を傾げた。
(兄さん、焼鮭無理って言ってなかったっけ?)
中身を目でも確認すれば、それは確かに焼き鮭だ。どうして。いや美味しいけれども。咀嚼しながら考えて、雪男はこの鮭が白米に比べて少し冷えている事に気付いた。そういえば燐は昨日の晩、明日の弁当は雪男のすきなのたくさんいれたぞーと機嫌良く笑っていなかったか。
(・・・もしかしなくとも?)
わざわざ弁当から抜き出したのか。しかもおそらく、燐の弁当から。たまらなくなって、雪男は通話ボタンを押した。
「あーもう!・・・兄さん!」
『雪男?任務もう終わったのか?』
「まだ!向かってるところ!」
『どーした?忘れモン?』
「ありがとお!」
『へェ!?』
「おにぎり美味しいよ!いってきます!」
ちょっと恥ずかしくなったので、通話口にちゅっと音を立ててから強引に通話を切った。今日はもうなんだってできる。
最後は天むすだった。おそらく兄からしてみれば超適当に作ったとでもいうような代物だろう。ボウルに暖かいご飯と天かすと天つゆを投入して、ざっと混ぜて握っただけの。それなのに天かすは未だにさくさくだしつゆは濃すぎず薄すぎずだし白米はほかほかで柔らかい。あーもう幸せ。
「兄さんだいっすき・・・・」
そして最後の一口を飲み込んで、雪男は走り出した。あーもう兄さん大好き大好き大好き大好き。今日の夕飯はすき焼きにしようね!!僕黒毛和牛をたくさん買ってかえるから!!
「割のいい悪魔でありますよーに!!」
祓魔師の給料が歩合制でホントよかった!



今日のお昼は何だろうな〜〜〜

2011年2月11日(2011年1月30日初出)