暗い空気が立ちこめる室内で、アルミンとエレンは机を挟んで向かい合っていた。見事な敬礼をしたまま直立不動のエレンを、椅子に深く腰掛けたままのアルミンがじっと見つめる。何を言われても耳を貸さない、とばかりに微動だにしないエレンと数分間、我慢比べをして、先に折れたのはエレンだった。
「……やっぱり、駄目か」
「駄目だ」
 ぴしゃりと音が出そうなほど素早く鋭くアルミンが断じる。がっくりと肩を落としたエレンは、敬礼をといてはーっと大きくため息をついた。
「アルミンのばかぁ」
「悪いけど、エレン。こればっかりはどうにもならないよ。アルミン・アルレルト自身としてはもう正直言って諦めてるから、君が間違えさえしなければ君の幸せの赴くままにしたらいいとは思うけれど。調査兵団団長としては、肩書き的にも世間的にも、戦力的にも認めてやれない」
「……わかってるよぉ」
 肩を落としたまま、エレンがふらふらと壁際のソファによる。クッションを取り払って身を投げると、ボスンと音をたてて横になった。
「エレン、埃たてないで」
「たててない」
「たっただろ、今」
「うるさい、アルミンの馬鹿。頭でっかち。勉強馬鹿。禿げろ。嘘、禿げんなよ。アルミンの分からず屋、もういい、嫌いだ。うそ、嫌いじゃない。アルミン、大好きだ、愛してる。……でもやっぱり嫌いだ」
「はいはい」
「うううう」
 抱きしめたクッションに強く頭を擦り付ける。立ち上がったアルミンはエレンの傍により、手触りの良い髪をさらりと撫で付けた。
「お茶を淹れよう。お菓子もあるよ。食べるだろう?」
「お菓子なんてどうやって手に入れた?また貴族の女をたらし込だのか」
「たらし込んだだなんて、人聞きが悪いなエレン。この間内地で行われたパーティーで、砂糖を主に取り扱う商人のお嬢さんと文通をする仲になっただけだ」
「そーゆーの、たらしっていうんだぜ。可愛いアルミンはどこにいったんだぁ」
「可愛いアルミンなら、185cmの逞しい男になりましたよ」
「ちくしょう。可愛いアルミンを返せ、マッチョ野郎」
「お褒めいただき光栄ですよ、我らが苛烈なミス・兵士長」
 ゆらゆらと湯気を出す、いかにも暖かくて美味しそうなお茶を持ってきて、アルミンはソファの足下を少し蹴った。それをうけて身体をずらしたエレンは肘掛けに頭を載せて、伸ばした足を上げた。できたスペースに腰を下ろしたアルミンは、自分の膝にエレンの足をおろしてやる。こぼさぬようにと注意してからカップを渡すと、エレンは仰向けのまま首を竦め、口をすぼめてお茶に口をつけた。暖かいお茶の温度が身体に染み渡る感覚にホッと息をついてから、思い出したように口を開く。
「あっお前、ミカサには言うなよ」
「言わない言わない。言いたくない」
 しばらく無言のまま二人はお茶を飲み続けた。アルミンは手慰みのように自分の膝にあるエレンの足を撫でたり揉んだりして、エレンはその意外な気持ちよさに目を細めた。既に中身が空のカップをアルミンに預けてしまうと、エレンはうとうととし始めた。彼女の様子にめざとく気付いたアルミンが嗜める。
「こら、兵士長。仕事は?」
「全部終った。個人訓練ももうおしまい。あとは夕食までフリー」
「ならいいけど」
「なぁアルミン、駄目?」
「何度も言わせないで、エレン。訓練兵団行きなんて認めないから」
 執務机の上に置きっぱなしになった辞表をちらりと見て、アルミンはエレンを嗜めた。もうここ数年間、数ヶ月に一回発作のように繰り返される押し問答だ。訓練兵団の教官になりたいというエレンが辞表兼異動願いをアルミンの机に叩き付け、アルミンがそれをはねつける。エレンはとても優秀な兵士だ。女性ながら長く壁外調査に貢献し続け、今や人類『最高』の希望と称される女傑だ。副兵士長としてエレンに尽力し続ける、人類『最強』の幼なじみミカサ・アッカーマンと合わせて、二人の女神とさえ言われるほどである。そんな二人を両側に侍らせる自分がどのように思われているかは解っているーーーアルミンは、自分が男兵士達に影で死ねリア充といわれ呪われているのをよく知っているーーーが、そんな事は今はどうでもいい。今大事なのはエレンの理由だ。彼女はここ数年間、調査兵団入団式の度に入団者の列を見てはため息をこぼしていた。じっくりと一人ずつ壇上から見下ろして、式が終ってからがっくりと肩を落とす。そんな事を数年繰り返してから、エレンは訓練兵団行き希望するようになったのだ。しかも、
「しかも理由が、合法的に少年達を眺めたいからだなんて」
 ……という、なんとも、コメントのしづらい理由で。
「だって、調査兵団に入ってくるような奴らなんて、大抵が駐屯から異動してきた良い年した奴ばっかなんだもん。瑞々しいお肌は?おっきいお目々は?線の細い身体は?つるっつるの膝小僧はどこにいったんだ……」
「あぶない、エレン、発言が危なすぎる」
 エレンの目が血走り始めた。怖気に身の毛が逆立って、アルミンは慌ててエレンを抱き起こした。肩を揺さぶるも、エレンは止まらない。
「初めて付けた装備の重さにバランス崩しそうになって、ふらふらよちよち歩く姿が見たい。教官のいない所でブレードを抜いて、『特と見よ我が聖剣!えくす・かりばー!』ってかっこつけてるクソダサ可愛い姿が見たい。手のひらにブレードのたこができて、ふーふーするんだけど何も変わらなくて、『痛いよぉ』っていって周りも『お前なっさけねぇなぁ』とかいうんだけど『……でも俺も痛いよぉ』とか言ってるアホ可愛い姿が見たい。そんなショタはどこで見れますか?訓練兵団ですどうもありがとうございました。さぁアルミン、俺を訓練兵団にやってくれ」
「却下」
 アルミンは、久々に、そうとても久々に、エレンの頭をいい音をたてて引っぱたいた。アルミンの膝に乗り上げ、頬を紅潮させてつらつらとショタへの愛情を唱えていたエレンは脳がゆれたのかグワングワンとして、ぱたりとアルミンの肩に頭をあずけた。
「気は確か?」
「……わるかった」
「もう、なんでこんなショタコンになっちゃったかなぁ」
「知らない。でもだって、可愛いんだもん。食べちゃいたいんだもん」
「もんもん言わないでよ、いい歳して……頭を撫でたくなるじゃないか」
「アルミンなら、許す」
「ああ、ミカサに怒られそうだ」
 しゅんとしてしまったエレンの頭をよしよしと撫でて、アルミンは立ち上がった。机の上の辞表を手にとって、中身も見ずにびりびりと破く。ああっとエレンから悲痛な声があがるが、手は止めない。万が一にも誰かに見られないようにゴミ箱の奥の方に混ぜ込んで、アルミンは再びソファに突っ伏したエレンに声をかけた。
「さぁエレン、そろそろ夕食だ。ミカサが焦れて迎えにくる前にいこう。」
 まっすぐ差し出した手に、エレンの固くて細い手が重なる。殺伐とした世界の第一線に身を委ねるエレンの癒しが、汚れの知らない柔らかな手にあるというのなら、自分の手こそがそうなればいいのに。アルミンは確かにそう願っていたけれど、それはどうやら叶いそうにない。せめて、親友のぬくもりだけでもと、アルミンはエレンと肩を組んで、食堂へ向かった。



プレゼントを君に




 エレン・イェーガー兵士長には、他言できない特殊な秘密ーーーもとい、性癖がある。

 
 エレンは興奮していた。そりゃもうとてつもなく興奮していた。エレンの興奮具合に感化されて、彼女の馬さえも落ち着かなくなるくらいには、興奮していた。ああ、これは見せるべきではなかったかもしれない、と、アルミンは早くも後悔し始めていた。後ろから聴こえる歓声が遠い。エレンのすぐ後ろにつくミカサは殺気立っていて、近くに配属された新兵が震え上がっている。これは嵐がくる、と期待だか不安だかわからない焦燥感がびりびりでアルミンの背中を襲って、彼は落ち着こうと息を吐いた。
 アルミンたち調査兵団一行は、現在トロスト区の門の前に隊列を組んで待っている。先遣隊が門の周りにいる巨人がいない事を確認し次第、門が開いて壁外調査が開始される。
「周囲の巨人はあらかた遠ざけた!健闘を祈ります!」
「ありがとう。ーーー開門!」
 アルミンが声を張り上げると、ガラガラと滑車が回る音が響く。押し上げられていく門の下部から、外の世界の風が押し出されるようにして流れてきて、興奮したように馬達が地面を何度か撫でた。
「ーーーこれより、第XX回壁外調査を開始する。ーーー進め!!」
 アルミンは愛馬の腹を強く蹴った。兵士達の雄叫びがあがってーーー世界が開けた。


「アルミン!」
 興奮しきった声に振り向くと、愛馬をアルミン隣にぴたりとつけたエレンがそこにいた。
「アルミン、いいよな!?あいつ、オレの物にしていいか!?」
 壁外調査中だというのに、そこには満面の笑みがあった。アルミンは肩をすくめて、親友を諌める。
「伝令は?兵士長」
「右翼二列側、巨人多数!今よりもう少し大きめに進路を左にとってもいいかもしれない!なあアルミン、いいだろ!?」
「了解、検討する。……落ち着きなよ、エレン」
「だって!なあ、なんであいつミカサの隊にいれたんだ?あいつら相性悪くねえ?早速反抗してたぞ、あいつ」
「彼を抑えられるのがミカサしかいなかったんだよ。ーーーでも、まあ、いいよ。あと1、2回壁外調査を経験したら、彼を君にプレゼントする」
「ーーーやった!!アルミン、愛してる!」
「僕も愛してるよ、エレン」
 馬から身を乗り出して額をこすりつけてくるエレンの頭に、小さくキスを落とす。そうして満足そうにアルミンから離れようとするエレンに、そういえば、とアルミンは声を上げた。
「彼、二十歳だよ」
「ーーー嘘だろ!?」
「本当!君とは一回りしか離れてないし、身体の作りも筋肉も年相応だけれど、まあ、肌は瑞々しいし、顔も幼いし……何より生存率高そうだし、驚いたって事は、エレン、彼は君のお眼鏡に叶ったのかな?」
 パチンとウインクを一つ贈れば、エレンは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしてーーー次いで、破顔した。
「ーーーアルミン最高!」
「お褒めに預かり光栄だよ!ーーー長距離索敵陣形、展開!」
「それじゃあ団長、また後で!」
「健闘を祈る、兵士長!」


 エレンの満面の笑みなんて、久しぶりにみたかもしれない。きっと、ミカサも嫌な顔をしつつもきっと許すだろう。さっそく緑の信号弾をセットしながら、アルミンは笑った。



君を犯罪者にはしたくないから、とっておきをプレゼントするよ。っていうアルミン。続きません。

2014年6月25日