最後の一枚を乱暴に脱ぎ捨てると、ミケはドカリとベッドに腰を下ろした。月の眩しい夜だ。大きな窓から差し込む光は広い部屋をいとも簡単に照らす。綺麗に整えられた二段ベッドを向かい側からじっと見つめて、ミケは重い溜息を吐いた。気分が悪い。のろのろと立ち上がり、中身の整頓された引き出しから寝間着を引き出す。一緒になってシャツの一枚二枚が引きずり出されたが、気にせずに引き出しを閉めた。ブーツを蹴ってベッド脇に寄せる。すこしかんがえて、くしゃくしゃに丸められた兵団ジャケットを手にとった。裸足でペタペタと歩き、ドア近くのハンガーにかけた。腕と背中のところがほつれている。直さなければ。けれどそれは、明日からでも構わない。夕食の時間は過ぎ、今日はもうやることもない。寝ればいいのだ。明日からはまた訓練ばかりの日常が始まる。非日常は今日ばかりだ。
 コンコン、とノックの音が響いて、ミケはぴくりと身を震わせた。こんな時間に、誰だろう。ミケに用事のある上官などいないだろうに。
 動けずにいると、ドアはふたたびコンコンと二回なった。これはいよいよ、逃げられない。
「…………誰だ?」
 努めて平静な声で、ミケはドアの前にいるであろう人物に声をかけた。ほんの少しの間をおいて、その人物は清涼な声を掠らせてミケに答えた。
「……………ミケ、私だよ」
 その声を聞いた瞬間、ミケは先程までのためらいが嘘かのように素早くドアを開け放った。頼りな下げに立ち尽くしていたその細腕をぐいと掴み、部屋に引き入れる。部屋から顔を出して周りに誰もいないことを確認すると、ミケはドアを閉じてその人物に詰め寄った。
「エルヴィン……!」
「ミケ、すまない」
「どうして来た?」
 細い肩を掴み、ミケは肩を丸めて見上げてくる顔を覗き込んだ。青い瞳は夜でも変わらず輝きを放っている。エルヴィンはその底の見えない瞳でミケを見つめ返すと、囁くように口を開いた。
「来たかったから」
「誰かに見られでもしたらどうする。ここは男性兵舎だぞ」
 悪びれないエルヴィンを窘めるよう言葉を重ねると、エルヴィンは聞き飽きた、とばかりに目を閉じた。ミケの大きな手を?み、自らの頬に当てる。ぞっとするほど綺麗な顔だ。
「見られないよ」
 だって、とエルヴィンは囁いた。やめてくれ、とミケの口が型どる。
 だって、
「お前も私も、一人部屋になってしまったよ?」
 荒んでも尚美しい瞳がミケを射抜く。絶望感に襲われて、ミケは呼吸を忘れた。腕の力を抜いたミケの懐に、エルヴィンはするりと潜り込む。若いながら、既に腕も回り切らないほどに広い背中だ。普段は逞しく頼りになるのに、今は小さな子供のようだった。
「ごめん、ごめんよミケ。酷いことを言ったね」
 回した腕で背中を擦る。呼吸の仕方を思い出したミケが、エルヴィンをぎゅっと抱き込んだ。痛いほどに力が強い。それでも文句一つ言わず、浅く浅く呼吸をして耐えて、エルヴィンは押し付けられた肩にくちづけた。



いっしょに夜を歩こう



 ミケの使っている二段ベッドには上段が無い。数年前に上段を支える柱がポッキリと折れて以来、そのままなのだ。だから脚も長いが上背もあるミケがそこに収まるのはある意味自然で、それ故ミケはいつだって、窓から入る月のひかりを存分に浴びて眠ることができた。
 ミケはベッドの中心で胡座をかくと、エルヴィンを足の間に抱えた。顔を見たいと言うエルヴィンが体勢を嫌がったので、横抱きに抱え直す。寒くはなかったが二人で毛布に包まれて、しばらく何もせずにその時間をすごした。
 ミケの左胸に耳をつけたままじっとしていたエルヴィンが、ふとその鼻先を胸に埋めた。すん、とミケの癖と似た仕草をする。何をしているのかと聞きたかったがそれすらも億劫で、ミケはエルヴィンの背中を撫でていた手で柔らかな金髪の一房をつまんで、指で柔く揉んだ。つるりと指の間をすり抜けるそれは本当に柔らかく、ミケは心の赴くままに顔を傾け、エルヴィンの頭のてっぺんに鼻を埋めた。スン。そのまま鼻先は降り、エルヴィンの耳の後ろを潜って項へたどり着いた。そうしている間にミケはエルヴィンを覆いかぶさるようにして抱き込んでいて、何がおかしいのか、エルヴィンはくすくすと笑って腕をミケの背中に回した。
「もっと嗅いでいいよ、ミケ」
 エルヴィンが、振動させるようにミケの喉に口をつけて喋るから、ミケはどうしてもたまらなくなって、エルヴィンを抱えたままベッドに横になった。腕も脚もエルヴィンに絡め、ひたすら項に鼻先を押し付ける。覚えていたいと思った。覚えていなければならない。ミケに残った唯一の希望を。その匂いを。
 ミケの巨体を受け止めるエルヴィンが苦しくないはずないのだけれど、彼女は不満を漏らすこともなく、ミケの好きなようにさせていた。


「二人きりだね、ミケ」
 歌うように囁いた。二人きりの四人部屋にその声は響く事もなく霧散して、かわりに梟の鳴き声がかすかに聴こえる。
 エルヴィンはミケの腕の中でゆっくりと寝返りをうつと、自分の引きずり上げて彼と目線を合わせた。
「決めた事があるんだ、ミケ。笑わないで聴いてくれる?」
「お前の決めた事に、俺が笑った事なんて一度もない」
「うん、そうだった」



 エルヴィンの懺悔の様な決意は、ミケの心を強くした。自分は臆病で、恐がりで、小心者だ。けれど、エルヴィンの心を思い出せば、この先何があっても強くあれると思った。
「エルヴィン、」
「なんだ、ミケ」
「お前についていく。どこまでも」
「……ありがとう、ミケ」
 包帯の巻かれた手の甲で、濡れた頬を拭ってやる。ようやく笑ったその顔に、そっと口づけた。



まだ新兵であるうちに、調査兵団の同期がお互いだけになってしまったら。ミケとエルヴィンの代は、エルヴィンの熱意に引っ張られてかなりの人数が調査団入りしたという設定で書いてます

2014年10月25日