ジャン・キルシュタインの趣味は映画鑑賞である。

 彼の細々とした趣味はほかにもあるが、一つだけをあげるとしたらこれだろう。映画好きを公言しているだけあって、彼が観るジャンルは多岐にわたる。クラシックにミステリー、ファミリー向けも好んで観るし、彼はこう見えてロマンチックな男なので(本人は否定するけれど)、ラブロマンスも彼のリストには当然並んでいる。B級映画も面白ければ進んで観るが、ホラーは肝が冷えるのであまり観ない。とにかく彼は、照明を落とした部屋でソファに座り、自分を現実から切り離して物語に意識をゆだねる、その数時間の娯楽が好きなのだ。金曜日の夜は決まって映画を観るのが彼の日常で、そしてそんな彼の娯楽に唯一同席する事ができるのは、高校時代からの旧友、マルコなのである。




"Vianne I love you!"



 ジャンの部屋は広い。それだけのお金を払っているからだ。三階の北側に位置するジャンの部屋は、まずドアを開けるとオードリー・ヘプバーンのアートが飾ってあって、その右側には洒落たフォルムのコートスタンドがある。彼はどこぞのインテリアショップに展示されているようなコーディネートがお気に入りなのだ。高校から大学、そして社会人と進むにつれて、いわゆる『大人の男』になろうと趣味を変えていったジャンをみて、シェアメイトのエレンはずっと気持ち悪いと感想をのべていた。
 オードリーの下におかれているアンティーク調のシューズキャビネットには、ジャン自慢の革靴がいくつか収納されている。このシェアハウスは土足厳禁で、住人は靴を一階の玄関の壁一面に建て付けられているウォールキャビネットに仕舞う決まりになっているのだが、そこに収まりきらない数の靴を持っている者(主に女子)は、玄関で脱いだ後それを手にもって自室に持ち帰るという細かな決まりのもとに生活している。
 左側にはブラックで統一したワークスペースがある。ひよっこ弁護士のジャンにはまだまだ勉強する事が多く、壁一面の本棚に広いデスク、大量の書類を仕舞えるキャビネットは、既にその要領を満たそうとしている。すぐそばのコーヒーテーブルとアームチェアにまで本や書類たちは侵蝕し始めていて、ジャンはそろそろ新しい収納家具の購入を検討している。
 そのワークスペースから間仕切りで完璧に仕切られた奥が、ジャンが部屋で一番愛してやまないベッドルーム、兼、5.1chのホームシアターである。
 ベッドの隣にある大きな窓には遮光性に優れたブラックカーテン。大きなスクリーンの前にはソファベッド。ベッドとしてはダブルサイズのそれは、成人男性でも詰めれば三人くらいは腰掛ける事ができるくらい大きい。リラックスした夜にそれに腰掛け、部屋のあちこちに取り付けられたムードライトで映画の邪魔にならない程度の明かりをとりながら、セレクトした映画をポップコーンとともに楽しむのだ。

 
 ある金曜日の夜、ルームウェアに着替えたジャンがキッチンへ赴くと、そこではクリスタとユミルがキスをしながら夕食を作っていた。
「おい、共同スペースでやめろよ」
 男二人がちっともこだわりを示さなかったおかげで、三階のキッチンやバストイレといった共同スペースはすっかりクリスタの趣味に染まっている。おかげでジャンはキッチンに立ち入るだけでもちょっと気後れするというのに、同じ階に同棲しているこのカップルは、所構わずチュッチュと愛を育むのだ。
「あ、ごめんね、ジャン」
「ちょっとは気ぃ使えよ、馬面」
「そりゃ俺の台詞だよ」
 二人も二人で手慣れたもので、恥ずかしがる様子すら見せない。二人がきゃっきゃとお花を飛ばしながらチキンをソテーする傍ら、ジャンは自分の戸棚からポップコーンの袋を取り出すと、それを電子レンジに放り込んだ。
「ジャン、今日もムービーナイト?」
「おう」
「お前のカレシはまだ帰ってきてねーぞ」
「うるっせえ、マルコとはそんなんじゃねえっつーの」
 アソーテッド・ナッツの袋を大皿に開けて、二リットルのコークを冷蔵庫から取り出す。大きなマグカップを二つ手にもって、ジャンは一度部屋に戻った。どこまでも雰囲気を大事にしたいジャンとしては、本当はマグではなくて、使い捨ての赤いプラスチックカップを使いたいのだけど、親友のマルコはもったいないといっていい顔をしない。なので彼と二人で映画を観る夜は、ジャンはマグを使うのだ。プラカップは、一人で観るときように、こっそりと常備してある。
 キッチンに戻ると、ちょうど電子レンジは音を立てて完了の合図を告げた。パンパンに膨らんだ袋を取り出して、大皿に中身をぶちまける。袋を逆さまにふりながら最後の一つまで皿にだしていると、階段を上がってくる革靴の音が響いた。同じく気づいたクリスタが、あざとくもジャンのシャツの裾を引っ張った。
「あら、ジャン。マルコじゃない?」
「よかったな、ジャン。カレシ帰ってきて」
「だから違うって言ってんだろ。ーーーマルコ、お帰り」
「ただいま、ジャン、ユミル、クリスタ」
「お疲れ様。今日はちょっと遅かったのね?」
 普通の会社につとめるマルコが、定時を大きくすぎて帰ってくる事はそうそう無い。特にせっかくの金曜日に残業をする人がこの国にいるとすれば、それは飲食業といったシフトで就業時間を決められている人か、単なるワーカホリックにすぎない。この時間、たいていキッチンで夕食を作っているユミルとクリスタは、自然とジャンとマルコの帰宅時間を把握しているのだった。
「ああ、うん。今日はちょっと同僚と話をしてたんだ。彼、姪っ子が生まれたらしくって、その写真を自慢したがるんだよ」
「わあ。きっと可愛いわね」
「そうみたいだ」
 マルコは肩にジャケットを引っさげたまま、下げていたビニール袋をワークトップにおいた。
「ジャン、夕飯もまだだろう?エミリージョーンズの地下デリで夕飯を買ってきたから」
「おっ、気が利くじゃねーか。いくらだった?」
「いいよ、たいした額じゃない。アフタヌーンスペシャルで、半額だったんだ」
「むさい男二人のあっつい夜はデリの残りもんかよ。クリスタ、私らはあんなズボラにはならないようにしような?」
 クリスタの頬にキスを落としながらからかうユミルに、ジャンはうっとうしそうに顔をしかめた。
「だから違うってーーー」
「あー、はいはい」
 マルコはジャンをおいてさっさと着替えに部屋に戻ってしまっていた。親友の彼は、ジャンに掛け値ない優しさを注いでいるように見えて、実はけっこう放任なのだ。
「ユミル、ミネストローネはよさそうよ」
「ワオ、さっすが私のクリスタ!美味そ〜」
「もう、味付けしたのはユミルじゃない?」
 そうしてまたチュッチュとラヴバードさながらにキスを始めた二人をげんなりと見やって、ジャンはマルコの買ってきたデリの袋から食べ物を皿に盛って、それを部屋に持ち帰った。マルコは、着替えたら来るだろう。



「さて、今日の君のセレクトは?ジャン」
 定位置である左側に座って、マルコはDVDをセッティングするジャンに訪ねた。
「今日は”Chocolat”をみようぜ」
「ショコラ?」
「そ。ラッセ・ハルストレム監督の…まあいっちまえば恋愛映画なんだけどな」
「へえ。内容は?」
 マルコが訪ねると、ジャンは証明を落とした。
「ヴィアンヌとアヌークという親子が、あるフランスの村にたどり着く。そこでヴィアンヌはチョコレート店を開くんだ。そしてあるジプシーの男とであって…ってな。これで意外と宗教問題とか複雑な人間関係とか、それに巻き込まれる子供とか、けっこう濃い内容だぜ?」
「面白そうだな」
 ジャンはソファの右側に座ると、マルコの足下に絡まっていた毛布を足で引き寄せて膝にかけた。デリの料理の乗ったミニテーブルはジャンとマルコの間に据えられて、その下にはアソーテッド・ナッツとポップコーンの皿。ジャンの足の間にはコークの二リットルボトル、マルコの足の間にはSOLOの二リットルボトル。二つのマグをがちゃんとならして、ジャンはリモコンのプレイボタンを押した。
 ジャンのフライデーナイトは、こんな風にして、親友と過ぎる。



シェアハウス第一弾。三階に住むひよっこ弁護士、ジャン・キルシュタイン

2014年6月23日