花が満ちあふれる草原の中にひっそりとたった、装飾の少ない古い宮殿。年代を感じさせはするが手入れの行き届いたそこは、庶民出のエルドとペトラから見ても品がよく、噂に聞く『豚貴族』達が住まう様な場所には思えない。先ほど通り過ぎた街を見る限りでも人々が活気づいていて、犯罪率も低そうだ。いい領主が正しく土地を治めているのだろうという事が容易に伺えて、またそんな人間が調査兵団に対して惜しみない投資を行ってくれているというのは、なんだか少し気分がいい。貴族という生き物は総じて自分の事しか考えない豚(この単語はリヴァイ班の面々にだんだんと浸透しつつある)の様に肥えて、酒と快楽に溺れるばかりと思っていたので、この新しい見方はすっと胸に通った。
 貴賓室と思われる場所に通され、エルヴィンら三人が豪奢なソファに座る。その二人の背中を守るようにして、二人は立った。落ち着いた赤色を基調とした部屋は大きいガラス窓がはめ込まれていて、外の中庭が見渡せるという、なるほど客人をもてなすにはもってこいの場所だろう。庭ではなくあくまで中庭に面しているという所も、警備上問題ない。
 楽にして良いとは言われたものの、どことなく背筋が伸びたままのエルドとペトラを振り返ったハンジが背もたれに肘をついて口を開いた。
「現ハリファックス候は調査兵団の全面的なバックアップを可能な限り約束してくれてるんだけど、彼は王族の血筋に連なる者でね、うちが毎年資金繰りに苦労しないのはそういう訳。面と向かって苦情とか言える人があんまりいないんだよね。彼より上の血筋にいる人間なんかは、政なんかにほとんど興味を示さないからさ。」
「なるほど」
「でもどうしてそれだけのやんごとなきお方が、我々のパトロンを買ってでてくれるんです?憲兵団ならまだ解りますけど」
 正規の兵団として存在する憲兵団、駐屯兵団、調査兵団の中で、おそらく所属隊員数に反比例して最も金がかかっているのは調査兵団だ。対巨人用にに特殊な品種改良を施された馬、工場都市でしか精製できない超硬質スチール製の剣、また危険が常に伴う兵団のため兵士の家族への手当、また遺族への慰謝金など、調査兵団はとにかく金がかかる。自分の安全に直結する憲兵団の援助ならともかく、王にも連なる家系のお貴族様がわざわざ調査兵団を名指しで援助を申し出るとはとてもではないが考えにくい。
 そんなエルドの疑問に逡巡しつつも答えようとしたハンジだったが、開きかけた口は突如とまった。「あ!」と声を上げて立ち上がると、エルヴィンを挟んで反対側に座っていたリヴァイに声を描ける。
「リヴァイ、ほら!」
「ああ?」
 立ち上がったリヴァイにつられてペトラたちもハンジの指差した方向を見ると、四角く囲まれている中庭の一角、ペトラたちがいる部屋からは丁度真向かいの棟から、細身の女性が歩いてきていた。背は高く、伸ばされた髪は美しい黒だ。品の良いドレスを纏ったその姿は、明らかにメイドや、ましてや警備の女兵士でも無かった。
 彼女は丁度日向と日陰の境界線辺りの芝生に直接腰をおろすと、脇に抱えていた本を読み始めたようである。彼女の周りをゆらゆらと尻尾を揺らしながら猫が徘徊して、くつろいでいるのが見て取れる。
 そんな彼女を見たリヴァイが、ゆっくりと大窓に近づいた。半身を窓に預け、指紋がつくのも構わずガラスに触れる。どうしたものかと思いながら突っ立っていると、自らもガラス窓に近づきながらハンジが静かに口を開いた。
「……あれが、ハリファックス侯爵夫人だよ」
「え」
 こうしゃくふじん。反射的に楽にしていた姿勢から思わず最上敬礼の構えをとると、からからと笑いながらハンジが手を振った。
「いいっていいって。まだ二十歳にもなっていないお若いご夫人様なんだけどね、さっき言いかけたけど、彼女こそが侯爵が我々の全面的支援を行ってくれている理由だよ。」
「彼女が……?」
 ちょいちょいと指で示され、エルヴィンにも頷かれたので二人は一礼してから窓際による。
「そう。見ててご覧。彼女がどういう人間か、わかると思う。」
 ウィンクをすると、目線でリヴァイを示す。とたん、リヴァイが凄まじいほどの殺気を放ち、二人は反射的に腰の短刀を引き抜いた。リヴァイが自分たちに向けた物ではない。けれどこんな場所で放つという事は、それは敵足り得るものが近くにいるという事だ。いつでも戦えるように腰を低くして短刀を構えると、またまたハンジが笑って止めた。
「ちがうちがう、見ててっていったじゃない。ホラ、彼女。見てごらんよ」
 警戒を怠る事無く外を見遣ると、驚く事に、侯爵夫人までが腰を低くし短刀を構えていた。太腿のガーターベルトから引き抜いたのか、足首程までの丈のスカートがめくり上がり、ペティコートが見えてしまっている。
 何よりも驚いたのは、婦人が使っている短刀が調査兵団で支給されているのと同じ、殺傷能力の高いものだったからだ。リヴァイがふっと殺気を収めると、僅かに警戒を残しながらも構えを解き、婦人は太腿にナイフを収納してドレスを戻した。周囲を伺いつつ、一つ一つの棟をじっくりと見てーーーその視線が、リヴァイと絡んだ。
 あ、と二人が思う間もなく、ぱぁっと顔を喜色に輝かせると、婦人は本も猫もほっぽりだして駆け出した。まっすぐ中庭を横切り、渡り廊下に乗り上げて、窓にたどり着く。どうやら防音性がさほど高くないらしい窓は、エルドとペトラにも容易に婦人の声を届かせた。
『リヴァイ兵長』
 両手をガラス越しにリヴァイの顔に重ねるようにすると、婦人は頬を染めて窓に額を付けた。
「……元気か」
 小さく、リヴァイが呟く。ぱっと顔を上げると、こくこくと頷きながら婦人は笑った。
『元気です! ……あ! ハンジさん、エルヴィン団長も』
 ハンジとエルヴィンが片手を上げると、婦人はきょろきょろと周囲を注意深く見てから背筋を伸ばし、模範的な敬礼をしてみせた。誇らし気な顔が笑っている。それで二人は理解した。どうあって侯爵夫人等という地位に収まったかは不明だが、彼女は間違いなく、兵士の出だった。それも憲兵団でも、駐屯兵団でもなく、立体機動装置を駆使して巨人達を屠る、戦士だったのだ。
 リヴァイが片手を上げ、夫人のそれと重ねた。瞳を潤ませて喜ぶ彼女を見つめ、リヴァイははっきりと口にした。
「エレン」
『はい、兵長』
「ーーーエレン」
『はい、リヴァイ兵長』
彼の命令を受ける事に慣れ親しんだ、ドレスを纏った女兵士がそこにいた。





2014年12月8日(初出:2013年5月9日)