3 years ago

 
 アンリ・サヴィルは、貴族らしかぬ貴族であるーーーというのが、サヴィル家に仕える使用人からの総評である。アンリの母親はウォール・シーナの下町の医者の娘で、勉学の為にと奨学金で学習院に入った女傑だった。その最中で父であるクリストフと出会い、恋に落ちてサヴィル家に嫁入りしたという訳だった。なのでアンリは、王室に連なる家系に産まれた者としては珍しく、庶民にも親しまれやすい価値観を持った跡取り息子として育った。学生時代は国で最も名声高い王立学習院に籍を置き、政治学に特に明るかった事で有名である。きっと誇り高い立派な領主となるだろうと誰からも期待される中、彼は一つだけ周りをやきもきさせる事があった。女性の影が全くないのだ。
 柔和な顔立ちに、貴族らしい柔らかい物腰で、女性からの支持も高かったが、期待に反してそういった噂が彼から出る事は無い。もちろんかなり真っ当な血筋の人間であるので、金で爵位を得たような貴族の息子達の様に女性関係が派手言うにはいかず、それ故に彼の清廉さは褒められこそすれど、避難されるいわれはない。ただ若当主として父親の仕事を手伝うようになってからさえも女性の影が少しもちらつかないとなると、血筋をつなげていく事を重視する貴族の一員としては心配せざるを得ない。
 だが、学院を卒業し、仕事の大半をまかされるようになり、結婚適齢期を過ぎ、三十路を2、3年過ぎた所で、アンリはようやく家族を安心させる。視察と称して数人のお供とともに国中をまわっていた彼は、帰って来るなり結婚を望む女性がいると告げたのである。幸せそうに微笑む彼の顔を見て、サヴィル家一同は、彼はただ単に、恋をした事が無かっただけなのだと確信した。


 そんな彼を、幼い頃からずっと傍で仕え見守ってきた執事のベルニは、若い主人がとうとう一生を添い遂げたいと望む女性が現れた事にとても喜んだ。こんな素晴らしい主人が傍にと望むのだから、さぞ素敵な女性なのだろうと。
『向日葵の様な笑顔が素敵な子だ』
 はにかみつつも誇らし気に報告をする主人に、若奥様となるだろう女性がまだうら若き乙女である事はベルニにも知れた。エレン・イェーガーというその少女の姓には聞き覚えが無く、どこの家だと訪ねれば、貴族に連なる者では無いという。それ自体はさほど驚かれる事実ではない。サヴィル家には既に前例がある。だがその乙女がシガンシナ区出身の兵士となると話は別だった。
 ノーブル・オブリゲーションの一貫として、貴族の家から兵士が出る事はさほど珍しい事では無い。多くは屈強な肉体と精神を育てるために三年間訓練兵団でその身を鍛え上げ、後に数年憲兵団で経験を積んだ後に実家を継ぐ。その多くが息子であるが、稀にやんちゃなお嬢様が参加する事もあり、兵士あがりが嫁入りをするという事は、そこまで騒がれる事ではない。だがその兵士がシガンシナ区出身となると、また話は別だった。
 シガンシナ区と言えば、この『世界』でもっとも巨人領域に近いとされる最南端にある突出区だ。王政府が『勇気あるもの』として国民にプロパガンダを打ち出すほど、住居区として忌避される場所だ。また五年前に超大型巨人が出現した地域であり、人類が再び失った最初の領土である。最北端出身の貴族と、最南端出身の兵士。少女が胸ときめかせる恋愛小説としては無くもないシンデレラストーリーになりそうな話ではあるが、そう上手く事が運ばないのが現実である。最下層の人間が貴族に名を連ねる事などできはしないし、お世継ぎを産む事だって許されないだろう。それほどまでに高貴なのがサヴィル家だ。
 ーーーだが、事実は小説よりも奇なりとは、よく言った物で。
 皆ただただ、アンリの情熱を見誤っていた。彼も曲がりなりにも次期当主である。当然エレンとの結婚が周囲に歓迎される訳が無いのは承知の上で、一人一人に熱弁して回ったのだ。エレンがどれほど美しいか。その毅然とした姿、苛烈な瞳、芯の通った立ち方。彼はエレンの全てに魅了されていた。サヴィル家の人間が音を上げるのにそう時間はかからなかった。そもそも母親が最初から寛容だったのだ。
 ベルニももちろん最初からアンリの味方についていた人間だったが、彼、いや彼だけでなくアンリに説得された人間全員が、一つ思い違いをしていた。彼らはエレンがアンリの好意を受け入れていない事を、知らなかったのである。

 その様な経緯でもってベルニは三年前、まるで戦に赴くかの様な緊張と恐怖を表情に張り付かせたエレン・イェーガーを、若奥様として迎えた。





2014年12月8日(初出:2013年7月11日)