オリキャラ(モブ)×ミカサ描写があります。ご注意ください。



ミカサ・アッカーマンの選択


 どさりと音を立てて男が倒れた。トドメと言わんばかりに振り下ろされた足は男の下半身を直撃し、周りの男達の憐憫を誘う。喧嘩の絶えない地下街でさえも暗黙の了解として禁じられている「金玉蹴り」を、知ったこっちゃ内と堂々と行うのが彼女だ。
「あーあー、派手にやったなぁ、『エレン』」
 泡吹いてんじゃねぇか、そう呆れながら近づく男を一瞥して、彼女は小さく口を開いた。
「私は、仕事をしただけだ」
「何も男の大事な所、攻撃しなくてもっつってんの」
「何故。私は弱点をついただけ。確実に相手を沈めたければ、確実な急所を狙うのは当たり前」
「はーっ……お前って奴ァ……ま、女だもんなぁ。わかんねぇか」
「女でも、そこは痛い」
「マジでか」
 伸びたままの男をひきずる彼に続いて路地に入る。一通り持ち物を探り終えた彼を見て、エレンは声をかけた。
「もう、行ってもいい?」
「ああ。っとその前に、お前を雇いたいって奴がいるけど?」
「今の店で充分困らない。必要ない」
「そうかい」
 煙草を一本薦める男の誘いを素気なく断り、エレンは踵を返した。
「話はそれだけ?」
「ああ……いや、もうひとつだけ。俺とお前の仲だ、いい加減教えちゃくれねぇかと思ってな」
「なに」
「本名は?エレン」
「……貴方には教えない」
「つれねぇなぁ」
 肩ほどまで在る黒髪をなびかせて、エレンは去った。


 エレンが店に戻ると、バーカウンターの後ろ手グラスを磨いていたママが暖かく彼女を迎えた。
「おかえりなさい、エレン。さっきはありがとね」
「問題ない。アイツはもうこの店にはこない」
「ほんと困るわぁ。ここは美味い酒と美しいオカマを愛でる場所であって、男娼仲介所じゃないっつーの」
 最後の方はややドスの利いた低い声で締めると、ママはグラスをラックに戻した。
「ちょっと待ってね、今アナタのご飯よそったげる」
「うん」
「待ってる間、これでも飲んでなさいな」
 そういわれて目の前に置かれたのは、並々と炭酸水が注がれたグラスだ。上の方に赤いシロップがかかっており、見事なグラデーションを作り出している。一番てっぺんには砂糖漬けのサクランボが丁寧に飾られていて、エレンはあわてて押し返した。
「ママ、これは飲めない。果物は高価だ。それも砂糖漬けなんて、私にはもったいない」
「さっきのご褒美だと思って、素直に受け取んなさいよ。」
 カラカラと笑って、ママは綺麗に手入れされた指先でサクランボを摘み、エレンのピンク色の唇にそっと押し付けた。反射的に口を開いたエレンが口に広がった甘みに驚いたように目を見張って、そして照れくさいのとバツが悪いのとで半々の様な表情で、ありがとう、と口にした。
「……美味しい」
「そりゃ良かった。ああそうだ、ミリーがアナタのシーツも干すって言ってたから、後で回収なさいねぇ」
「うん」
「はい、鴨肉のシチュー。パンも食べなさい。」
「ありがとう」
 目の前に置かれたボウルに並々とよそったシチューは具沢山で美味しそうだ。湯気がたっぷりと立って、エレンは朝ご飯にもしっかりとした内容の物を食べた筈なのに、ぐうと腹の虫が鳴るのを聴いた。
「美味しい?」
「うん」
 もぐもぐと食べるエレンが可愛く映ったのか、バーカウンターに身を乗り出してママが聞いた。頬杖をつくその表情は在る筈の無い母性愛に満ちあふれていて、ママは「アタシもアナタみたいなのが産めたらねぇ」としみじみ呟いた。
 そんな彼女のつぶやきを本気にとってしまったエレンは、静かにスプーンをおろすと、おろおろと視線をさまよわせた後に、
「ママ、それはできない。私は貴方の娘にはなれない」
 貴方の事は大好きだけれども、けれど、ともごもご口籠るその様子に、ママはまたからりと笑って、やあね冗談にきまってるじゃない、と伝えると、エレンの頭を引き寄せてそのつるりとしたおでこに分厚い唇を押し付けた。
「さ、冷めないうちに食べきっちゃいなさい。で、それも飲んじゃいなさいね」
「……うん。ありがとう、ママ」
「どう致しまして。」
 顔にかかるエレンの前髪をよけてやり、ママは別の客の相手をしに離れた。シチューは温め直せばまた食べられるけれども、サイダーはそうも行かない。早く飲んでしまおうとシチューのボウルを避ける。一心不乱に飲んでいると、隣でかたりとスプーンが音を立てた。見ると、男がエレンの隣に座り、エレンが避けたシチューを一口食べていた。
「……ノルトン」
「よう、『エレン』。お、このシチュー美味ぇな」
「それは私の。返してほしい」
「はいはい」
 グラスをすっかり空にしたエレンが怒気を含ませた声で言うと、ノルトンと呼ばれた男は肩を竦めながらも素直に返した。ほんの少し冷めてしまったシチューを前に、エレンはぽつりと呟く。
「……このスプーン、取り替えてもママは怒らないだろうか」
「そりゃねぇよ、エレン」



***




「ノルトン、さっさとしてほしい」
「色気がねぇなァ、ミ、カ、サ」
 シチューを食べ終わってすぐに連れて行かれた部屋で、【ミカサ】はノルトンに背後から抱きしめられていた。本当は自室の方が都合が良いのだが、ミリーが洗濯してくれたばかりのシーツを汚してしまうのは忍びない。結果、ミカサは店から歩いて十分もしないこの男の部屋に足を踏み入れる事になったのだ。まっすぐに向かったベッドの上で手早く服を脱ぐと、ミカサはノルトンに向き合った。
「どちらが先だ」
「今日は前払いがいいなぁ。なにせお前が探してるエレンとおぼしき人物の情報が三つも入ったんだからさ」
 その瞬間、ミカサは振り返ってノルトンを押し倒していた。跨がり、ノルトンの顔の横に腕をつく。
「ノルトン、さっさとしよう。そして、私にエレンの事を教えてほしい」
「俺、今日は騎乗位な気分なんだよ」
「わかった」
「バックからもしてぇなァ」
「わかった」
「フェラしてくれよ」
「わかった。全部したら、エレンの、確実な、情報だな」
「ああ、確実な、情報だ。さってと」
 お楽しみといこうぜ、ミカサ。そういって下肢に手を伸ばしてくる男よりも先に、ミカサは男のズボンをおろした。



***



 ミカサは走った。白い息を吐き出しながら石畳の床を駆けて行く。日の当たらない地下街は年中寒い。それに加えて冬の夜ともなれば、地下街はこの世界一寒い場所となる。赤いマフラーをたぐり寄せて、鼻先を埋める。
 嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい!!!
 喜びと興奮を抑えきれずに、ミカサは三段飛ばしで階段を駆け上がった。途中で酔っぱらいにぶつかるも止まらずに走る。半ばスキップをするように最後の五段を一気にジャンプして、ミカサは一回転して止まった。涙が溢れる。所々でともるランプだけが唯一の光源であるはずの夜なのに、ミカサには今この場所が天国のように思えてならなかった。路地の隅で孤児が膝を抱えながら、怪訝そうにミカサを見る。ポケットからあめ玉を三つほど取り出すと、ミカサは笑顔のままに子供に握らせる。一時の施しは何の得にもならないと学んでいたが、それでも何かをせずにはいられないほど彼女の精神は高揚していたのだ。
 再び走りだし、店にたどり着く。開け放されている店に走ったまま入ると、ミカサはバーカウンターの後ろに回ってママに飛びついた。
「っエレン?」
「ママ……!」
 いきなり飛びつかれた事に困惑し、そしてミカサの滅多にない笑顔にギョッとしたのだろう。ミカサの肩をつかんで引き離すと、ママはミカサの真っ赤な頬を撫でた。
「どうしたの?」
「アルミ……アルに手紙を書く! 一番、一番上等な紙で手紙を書くんだ! 書き上げるまで、今日は眠らない!」
 喜びのままに口を開き、ミカサは自分の目元をママに拭われている事に気付くのが遅れた。視界がぼやける訳だった。ぼろぼろと熱い涙がこぼれて、ミカサは痛いほどの切なさが胸に込み上げるのを感じた。嬉しい。嬉しい。こんなに嬉しいのは、あの幸せな家に引き取られた時以来だった。ついには嗚咽すら堪える事ができなくなって、ミカサは目の前の厚い胸板に抱きついた。
「あああ、うぁあ、うああああん」
 突如響いたミカサの泣き声に、店中の客がぎょっとした。あのミカサが。一年ほど前からこのオカマバーに用心棒として雇われ、ずっとその役目を全うしてきたミカサが、泣いているのだ。従業員に必要以上に絡む客は外に閉め出し、店の前でたむろする害虫には制裁を。その人形めいた美貌からは到底想像できない圧倒的な強さを誇る彼女が泣くというのは、彼女の制裁を目の当たりにしてきた客だけでなく、その恩恵を受けていた従業員達すらも困惑に陥れる事柄だった。
「エ、エレン……大丈夫? お腹イタイの?」
「腹ぁ減ってんのか? これ、これ食うか? 美味いぞ!」
 ぞろぞろとカウンターに人が集まる。従業員を初めとして、馴染みの常連客までもがわらわらと集まり、四方からミカサの頭に手を伸ばす。くしゃりと撫でる節くれだった手や、ミカサに自分の食べ物を分けようとするもの。忘れがちだが、ミカサはまだ十五歳なのだ。いつの間にかこの地下街に住み着いて、圧倒的な強さでのし上がり、そしていつの間にかこのオカマバーに定住していた、たった十五歳の少女。
 ひぐひぐと嗚咽を堪えきれてないミカサの周りを、おろおろと良い年した男達が囲む。その光景はシュールで、そしてどこか暖かみに溢れていて、何も知らない人間が見ればとても地下街で起こっている様には見えないだろう。そんなミカサを片腕で抱き込むと、ママはしっしっともう片方の腕を振って男達を散らした。
「ンもう煩いわよアナタたち! いい!? 今日は『ミカサ』の送別会よ! 飲んで、食べて、歌いまくるんだから!」
 その言葉に、バッとミカサが顔を上げる。
「解ってるのよ、アナタもういくんでしょう。アルに手紙を書いたら、すぐに。解ってるの。良かったね、ミカサ。良かったわね」
 ミカサの涙をぎゅっぎゅと拭ったママが、にっこりと微笑む。でも、寂しくなったらいつでも帰ってきていいのよ。そう付け足された言葉に、ミカサはとうとう、赤ん坊のように声を上げて泣いた。

 その夜、地下街でも一等の人気を誇るオカマバーでは、夜通し男達の宴会が続いた。真ん中に座るのはミカサで、彼女はアルコールの無い飲み物をふるまれながら、ぽつぽつと身の上を語っていた。
「そうか、お前ほんとはミカサっていうのか。いい名前じゃねぇか」
「へぇ、お前さんは東洋人なんか。どうりで見かけねぇ顔立ちの美人だと思ってたんだ、俺は」
「寂しくなるなぁ、これから」
「バッカお前、エレ……じゃねぇなぁ、ミカサはようやく愛しのエレンちゃんに会いに行けるんだぞ。祝福してやらねぇでどうすんだ?」
「うるっせえ、わかってんだよ! あーミカサ、また帰ってこいよぉ。今度はアルだけじゃなくてエレンちゃんも一緒に連れてこいよ、ああでもこんなコエダメみてぇな所に連れてくんのは可哀想だなぁ」
「それぐれぇ俺たちが守ってやるって。他の奴らだったら身包み剥いじまうけどな!」
「違いねぇ!」
 うん、うん。かけられる言葉一つ一つに頷きながら、ミカサは笑った。アルミンに手紙を書くのはこの宴会が終ってからにしよう。そして、自分はこの地下街にさよならを告げ、また三人で笑い合える日の為に前進しよう。
 待っていて、エレン。
 ミカサの記憶の中で、大好きな家族が満開の笑顔を見せた。



『ココ(地下街)出身のあのリヴァイが、エレンっつーガキを引き取ったってよ』

『そいつはお前と同じ年で、肩甲骨くらいまでの髪に金色の瞳をしていて』

『つい先月、訓練兵団を卒業して調査兵団に入団したって話だ』








アルミン・アルレルトの決断


 朝起きたらまず最初に顔を洗う。きちんと髪を撫で付けて、爪や手にこびりついたインクの跡を確認する。仕立てのいいシャツのパンツを身につけ、ベストを羽織ってボタンを留め、靴下と磨き込まれた革靴を履き、臙脂色のリボンタイを丁寧に結ぶ。もう一度鏡の前に立って身だしなみを整えば、朝の準備は完了する。
 食堂へ赴けば、眼鏡をかけた白髪の紳士が既に席で紅茶を飲んでいた。彼は少年を見ると、皺のよった目元を和らげる。
「おはようございます、先生」
「おはよう、アルミン。いい天気だね」
「はい、先生。絶好の読書日和です」
「はっはっは、若いといいねえ。私は眠くなってしまうよ」
「これだけいい陽気ですから、無理もありません」
「無理をしなくて良い、実際私はもう歳なのだから」
 長いダイニングテーブルの端に座る彼の斜め前に腰掛け、紅茶を出してくれたメイドに礼を言う。にっこり笑って会釈する彼女に笑って返して、アルミンはようやくカップに手をつけた。最初はおっかなびっくりで扱っていた繊細なデザインのカップにも、もうすっかり慣れてしまった。今では優雅にティーカップを持ち上げながら飲む事ができる。
 こんがりと焼かれたパンに、ソーセージとスクランブルエッグ。シンプルだがしっかりとした内容の朝食に目を輝かせながら、アルミンはフォークとナイフをとった。今ではきちんとした所作で扱う事が出来、それでもその美味しさに頬を緩めない事はできない。老人はそんな微笑ましい様子のアルミンに相好を崩した。
「昨日は何をしていたんだい?」
「先生の初期の著書を……その、夜通し読んでいました」
「また夜更かしをしていたんだね、いけない子だ」
 悪戯っ子らしく目を細める『先生』に、アルミンはバツが悪そうに肩を竦めた。
「それで、どれを?」
「あ、動物行動学について書かれた『ソロモンの指輪』を」
「それは……君の頭脳を満足させるにはいささか幼稚な内容だったろう」
「そんな事はありません!」
 アルミンは思わずテーブルに手をついて立ち上がっていた。少し気恥ずかしく、かつ居心地悪そうにした先生は、アルミンのその様子に驚いたようで目を丸くした。普段からあまり出さない大声に自分でも驚いて、アルミンは顔を赤くしてストンと椅子に座り直した。
「た、確かに、」
 ちらちらと先生を見ながら、アルミンは続ける。
「確かに……最近の先生の本と比べると、提唱されている仮説は荒唐無稽で、そこにいたるまでの理論も荒削りですけど……けど、僕は感動したんです!」
 だんだんと興奮する自分を抑えられずに、アルミンは高揚していく気分のまま喋った。
「先生が今の理論にたどり着くまでの思考の過程を読んでいるようでした。先生が長年かけて完成させた今の説の原型が、当時の思考回路のままに連ねられているんです!それこそ、動物の進化の過程をこの目で見ているかの様な感動が、僕を襲いました。それに、先生の初期の著書は今の学者達にとっての希望にもなります!今は気違いだ異常だと思われている自分たちの仮説が、何十年後には偉大なる発見として生まれ変わるかもしれないんです。それだけで、人生の中で途方も無く長い時間を研究に当てる事に対して誇りと自信を持っていられるんです!」
 声も絶え絶えに言い切って、アルミンは尊敬の眼差しでぽかんとアルミンを見つめる老人を見下ろした。どうだと言わんばかりに胸を張る15歳の少年を見て、老人は胸に暖かい物が広がるのを感じた。
 ジョルジュ・パスツール。生態学・動物学・環境学に特化し、長年の研究で権威ともてはやされる博士だ。研究だけに人生の全てを投じてきたこの老人の顔は顔にくっきりと皺が刻まれており、相棒のように上質の杖を持ち歩く。子供はおろか妻もおらず、助手や弟子をほとんどとらず一人で生きてきた男だった。長年の孤独と引き換えにウォール・シーナに豪邸をかまえ、使用人を数人だけ雇い、ずっと生きてきた。そんな彼がとうとう老いの末の死を現実的な物としてとらえ始めた時、彼はようやく、自分の研究を後世に伝えていく人物を捜そうと思うに至った。その結果の掘り出し物が、アルミン・アルレルトだ。
 道ばたの薬草を観察している子供がいるから声をかけたら、ビックリするほど聡明だったのである。そして話を聞いてみれば、子供は周りの目を恐れる事無く外の世界への関心を示してみせた。子供らしく所々稚拙ながら、それでも他の一般的な子供よりよほど緻密で中身のある考察を見せる。開拓地で労働をしながら暮らしていると聞いてしまえば、ジョルジュはアルミンに申し出ない訳にはいかなかった。自分の元で暮らさないかと。自分のもとで学び、ゆくゆくは自分の助手として研究を手伝わないかと。
 アルミンは目をキラキラさせて、そしてその後悲しそうに断った。自分には家族がいる、その子を置いてはいけないと。ジョルジュはもちろん、その子も来ていいと言ってやった。だがアルミンはそれにも頭を振った。普通の子供なら飛びつくだろう話なのに、訳を聞いてみると、見た目が問題なのだという。どういう事だろうかと少女にもあってみれば、成る程彼女はとても珍しい顔立ちで、シーナに入れば余計に目立つ事は請け合いだった。だがジョルジュはせっかく見つけたダイヤの原石を手放したくはなかったし、またアルミンもまたとないチャンスを棒に振ってしまう事もできなかった。
 そんなアルミンを説得したのは、他ならぬその少女だった。どう言いくるめたかは知らないが、少女共々アルミンは決意に満ちた顔つきに変わっていた。そしてアルミンが12の時、ジョルジュは彼を連れてウォール・シーナへの自宅へと戻った。

「ああアルミン、ミカサから手紙が届いている」
「ミカサから?」
 メイドに手渡された封筒の束から、唯一宛名が違う物をアルミンに手渡す。元は上等の封筒の筈が、紆余曲折のお陰か薄汚れている。いつもの事だと気にせずに封を開けると、アルミンは中身を読み始めた。
「何でしょう、僕が先月送った手紙はまだ届いていない筈だから、何かあったのかな……」
 それっきり黙り込んで手紙を読むアルミンを他所に、ジョルジュも片っ端からペーパーナイフで封筒を開いていた。どれもこれもが学会誌の原稿の催促かパーティーへの招待状かのどちらかで、おもしろいものは一つもない。ジョルジュも今は地下街で暮らすミカサの手紙を心待ちにしていた。自分の様な身なりのいい老人が行けば身包み剥がされるだけだろうが、実際に暮らしている者からすれば良い所もたくさんあるという。史上最低の場所とは言われるが、地下街でも上層の方に暮らしているミカサにとって、あまり危険は無いらしい。
「今回はなんて書かれていたんだい、アルミン」
 見た所、入っていた便箋は一枚だけだ。会えない時間を埋めるかのようにお互いいつも十枚にも及ぶ長さの手紙を出し合っているため、普段は読み終えるだけずいぶんと時間がかかるのだが、今日のアルミンはたった一枚を読むのにずいぶん苦労をしているようだった。
「アルミン?」
「……先生」
 アルミンのまろい頬を、涙が伝っていた。今だけは行儀も忘れて袖口でそれを拭って、アルミンは今まで見た事の無い様な笑顔でジョルジュに手紙を差し出した。
「先生、ミカサからです。エレンが、エレンが生きているって。会いに行くそうです。よかった……ほん、ほんとうに、よかっ……」
 それっきりまた崩れ落ちたアルミンの背中を、ジョルジュは不器用ながら摩った。片手にもつ手紙をさっと読み、丁寧にそれを畳んでテーブルに置く。
「……行くのかい?君も」
 静かにそう訪ねると、アルミンはぱっと顔を上げた。三年前と同じように、青い瞳が決意で煌めいている。どんな事でも、応援しよう。当初自分がこの子供に求めていた事を忘れてでもそう思えるほどには、ジョルジュはアルミンを、孫のように可愛がっていた。








手紙


『親愛なるわたしの家族、アルミンへ


 エレンが生きていた!!
 エレンの行方がわかりました。わたしはエレンの所に行きます。エレンは数年前に調査兵団に引き取られて、今期をもって訓練兵団を卒業したそうです。
 アルミン、わたしは兵士になります。調査兵団にいるエレンのもとへ帰ります。わたしはエレンの家族だから。
 アルミンは兵士にならなくてもいい。アルミンはもう学者さまだ。わたしはエレンと一緒に、巨人を駆逐して、外の世界への一歩を開く。そうしたら知識のある人がいないと駄目だと思う。その時こそアルミン、一緒にいこう。きっとエレンとわたしは、あなたがいなければ一日で毒草を食べて死んでしまう。
 きっとまた三人で暮らそう。今度こそエレンも一緒に、三人で。アルミン、あなたを愛しています。

 ミカサより 』





2014年12月8日(初出:2013年7月11日)