「ねぇ、ミレイ。ミレイはどうしたいの」
すべてを見透かしたような眼で視るから、私は。



晴れのち曇り、その後また晴れ



「君って、なぁんか自分を偽ってるよねぇ?ね、君どうしたいの」
青くて綺麗な、マーメイドナントカとかいうイブニングドレスを着たミレイを見て、綺麗だけれど綺麗じゃないと感じた。 朱禁城の一角にある迎賓館の、豪華なテラスの夜風に当たる。 礼儀正しく慎ましく両手を身体の前に添えて、ミレイは怠慢な動作で隣にいるロイドを見た。 器用に片眉だけ上げて、わけのわからん、といった顔をしているロイドが、風景に背を向けて手すりに体重をかける。 夜の中であまり目立ちはしないが、今宵は満月。 煌々とミレイの美しい顔立ちを照らしてしまって、否応無しに頬に残る涙のあとと、 赤く腫れぼったくなった目じりを見つけさせた。 もうどうしちゃったの、と半分呆れながらスーツに収めていたドレスタイの先っぽの部分だけを引っこ抜き、 自分にしては丁寧なしぐさで涙の後を拭った。 ロイドさん、と声もなく呟くミレイの目はうつろで、人形のようだ。
「ニーナ君に、なんかいわれたぁ?」
にんまりと笑って聞いてみれば、案の定ピクリと少しミレイの肩が揺らいだ。
「僕一応あの子を掘り出した人間なのでぇ、聞いてあげてもいいよ」
暗にニーナが君を泣かせたのは自分も原因の一部なのかもしれないと告げる。 あ・・・と掠れた声で、しかしそれ以上声を出せない自分がなんだか悔しくなって、ミレイは再び目の淵に涙を溜めた。 すぐに重力に逆らえなくてボロ、と落ち始めた涙を見て、 大きく身振り手振りを加えながらあーもー!といいながら再び拭う。
「わたっ・・・わた、し」
「うん」
「ともだちだ、って、おもってたっ・・・」
「うん」
「ニー、ナのこと、ちゃんと見れてる、とおも、った」
「うん」
「っでも、ニーナは、ユーフェ、ミア様だけがニー、ナをっみて、てぇ・・・」
とうとうメイクが剥がれ落ちるほどに嗚咽を上げ始めたミレイを見て、これはやばい、と思ってすぐに腕を引く。 テラスから続く小さな外通路の中間まで来たところで、そっと腕を引き寄せて胸にその柔らかな身体を抱いた。 普段遠慮ばかりしてどこか一歩ひいたところでロイドの隣にいた少女が、今はおとなしく身を任せている。 ひっく、と年齢の割りに艶やかしいほどに大人びているミレイがこうも泣くのはめずらしい。 普通の紳士ならば気になるはずのスーツの汚れも、ロイドは気にならない。 自分に必要なのは生命を維持するための栄養と、ナイトメアを作るための技術と場所とお金と発想とそれだけだから。 でも、珍しく自分は人間に興味を抱いたのだ。 ミレイ・アッシュフォードという名の、自分の婚約者として紹介されたその少女は、 自分よりも12歳年下だけれど、とても興味深い人間だった。 元々大公爵の地位にすらいた名門アッシュフォード家の御息女だったのだから、 気品から礼儀から振る舞いまで、すべて完璧なレディのものだ。 しかしその性格は底抜けに明るく、聡明で、悪戯っ子のような猫のイメージも抱かせる。 自分の思ったことを素直に出すと思えば、絶対に自分の考えなど出さない、見せない。 まるで守護者のようだ。 聖母マリアのような。 他人からしてみればずいぶんと奇妙なきっかけだが、奇人変人と呼ばれるロイドからしてみればずいぶんと興味をひかれる。 彼の観点は他とはちょっとどころかかなり変わっている。 でも興味を持った人間が女性で、しかも婚約者で、美人なのだから、女性の趣味は結構良いのか?とも思わせてしまう。 しゃくり上げながらも止まらないその告白に、これあったまいたくなるんじゃないのぉ、とロイドが上を向いてため息をつく。 泣くというのはかなりエネルギーの要る行為だ。 泣き終わった暁には頭ががんがん痛くてしょうがない。 普段泣きそうにないロイドがなんでそういう実体験を語れるかというと、 一度命よりも大切なランスロットがボロボロになって号泣したからだ。 すべてを話し終えて、ロイドのドレスタイを断りもせずに引っ張って涙を拭き鼻を摘み、 えぐえぐと泣き続けるミレイにエンドレスな焦燥を感じて、そっと頭の後ろに手を回した。 ドレスタイはもうあげよう。 そう思いながら頭を引き寄せ、顔の真下に来た頭のてっぺんに鼻を埋める。 口から漏れる吐息は彼女の前髪を少し浮き上がらせて、ロイドは少し笑った。
「いいんじゃない、それはニーナ君が思っただけのことだから。 ミレイ君・・・ミレイは、自分なりに彼女を愛してた。違う?」
初めて口にした呼び捨ては、思ったよりもすんなりと違和感なく飛び出て驚いた。



「・・・婚約を解消させてください」
決意のこもった目で見られて、ロイドは内心にやぁと笑みを深くした。 口にしたコーヒーは特派で飲むインスタントなんかよりも百億倍もおいしくて、ふふんと香りを楽しむ。
「僕のいったこと気になっちゃったあ?」
『ねえミレイ、ミレイはどうしたいの』。 朱禁城でのごたごたの後に言った言葉が、この婚約解消を求める決意に変わったのだと思う。
「はい。私、やりたいことができたんです。ミレイ・アッシュフォードじゃなくて、ただの『ミレイ』として」
おかしいと思いますか、と問われて、んーんと返す。 自分くらいにならないとおかしい人間の部類には入らない。
「ふぅん。何がしたいの」
「お天気お姉さん」
「なぁるほど」

「私、貴方となら結婚してもいいと思ってた。家のためにってのもあったけど、 他の人と違って貴方だったら結婚しても私は私でいられるかな、って思ったから」
でも、と続ける。 カチャリとソーサーに置いたカップの中身はもうなくて、残ってるのは飲み干せない一滴ほどの黒色だった。
「でも、やっぱりそれって、アッシュフォードの名前で逃げてるだけなんですよね。私じゃないんですよね」
ふいと視線をそらされて、彼女の視線の先を見る。 どこを見ているのか、彼女の目は窓から入ってくる光にキラキラと反射している。 どこか憂いげな、けれど明らかに変わった顔つきに、ロイドはなんだか誇らしくなって、両腕をテーブルについて頭を乗せた。 首をちょっと回して続けて、と促す。
「だから、私は貴方から逃げます。貴方に捕まってたら、私は私じゃなくなるもの」
貴方といるとなぜか芯が揺らいでしまう。 振り回すのが得意な私を振り回すなんて、やっぱり貴方すごい変人だわ、なんていわれる。 最高のほめ言葉だ。
「ふぅん?でも僕は君を名前で呼ぶことをやめないからね。興味もっちゃったらとことんなの、僕」
「存じてます。だからこそ、私の行く末を見守ってくださるでしょう?」
続けられた言葉に、思わず一瞬だけ目を見開く。 まさかそんなことを言われるなど思ってもみなかった。 だがしかし、確かに自分はお天気お姉さんと言われたとたんに何チャンネルだろう、と考えた。 かなわないな、と思う。 でもそれはつまり自分が人間に興味を持ったということだ。 あの悪友である第二皇子に続く、二人目の異例だった。
「・・・わかった。いいよ、婚約解消。その代わり、何チャンネルか教えてね」
条件と笑み付きでもって返せば、ミレイがきょとん、という顔をした。 あ、結構かわいいかもしれない。 猫っぽいなぁ、そう思っていると、ミレイがゆるりと微笑んだ。
「所属が決まったらお教えしますね」
「特派のテレビが加入してる局にしてね」
暗にきちんと見るよ、とミレイに言う。 嬉しそうにはい、と返すと、ミレイは静かに椅子を引いてたった。 テーブルの端においてある伝票を手にとって踵を返そうとする彼女の手をつかんで、 びっくりしているミレイの手から伝票を抜き取った。
「最後くらいはらわせてよ」
「―――じゃあ、お言葉に甘えて」
お変わり自由なコーヒー320円、おいしいアッサム300円、ミニフルーツケーキ400円。 合計1020円の安い最初で最後のデートに、でもコレって僕らっぽいやり方だ、と感じた。

二人そろってカフェを出れば、ドアからちょっと移動してしばらく二人でたたずんでいた。 なんとなく、天気予報者にしかわからないような雲行きの怪しさに眉を寄せたミレイは、 カフェのドアの横に備えてあった傘たてから自分の赤い傘を引き抜いた。 ロイドはこちらをみていない。 じゃあこれで、そういって意識を戻させると、ハッとしたロイドがこちらを見る。 バイバイ、とヒラヒラと手首を前後に動かすような変な手振りに、こちらも同じやりかたでバイバイ、と手をふる。
「行ってらっしゃい、ミレイ。僕のランスロット、雨の中だと輝かないんだ」
「行ってきます、ロイド、・・・伯爵。天気を変えることはできないけれど、伝えることならできますから」
明るかったはずの空が、いつの間にかどんよりと曇ってしまっている。 晴れてたんじゃないのぉ!?と嫌な顔をするロイドに少し笑って、持っていた傘をあげる。 自分は鞄に入れていた小さな折り畳み傘で充分だ。 すごいね、とロイドが笑う。 すごいでしょう、とミレイが笑った。



僕、結構本気だったよ。出来ることならこの指輪、君の薬指にはめたかった

2008年9月8日