「・・・ああ。雪が降ってる」
 しゃくり、と雪で湿った草を踏みつけて、スザクは人影の無い道をゆっくりと進んだ。見上げれば空はどんよりとした灰色で、何もこんな日に降らなくても、と苛立ちながら舌打ちをする。積もらない雪は美しさの欠片も残さなくて、それが余計に苛立たしく、スザクは抱えていた花束を雪から庇うように持ち直した。

 さくり。
 一歩近づく度に見えてくるそれに、途轍もないほどの愛情と、それと同じ程の悲哀がスザクの心を染めて、いっそのこと花束を投げ捨てて逃げてしまいたかったけれど、そうすることは、絶対に身体が許さなかった。

 さくり。
次々に通りすぎていく他のものは無慈悲にも目もくれず、スザクは迷いの無い足取りでしっかりと歩いていった。他のとは違う、まだ真新しく、雨風にさらされた形式の薄いそれを、慈しみに。

 さくり。 
(・・・ありがとうございます。・・・マリアンヌ様)
 もう目的地は目と鼻の先というところで、スザクは大きな花束の内側に隠し持っていた少し小さめの花束を取り出し、雨風にさらされ、研摩されたような跡の残る、けれどきちんと手入れのされたその墓の前に跪いた。花を沿え、頭を垂れて、彼女を産んでくれたことへの最上の感謝を、心の中で口にする。
(俺に、ルルをくれて。―――ありがとうございます) 
 顔をあげ、スザクは一度それを一撫でしてから立ち上がった。すぐ横にあるそれの前に、踏み出す。


 ―――さくり。


「―――久しぶり、ルルーシュ」
 口から出た声音は、酷く愛しげにその名を紡ぎ、スザクは緩む頬を止められずに跪いた。大きな花束を捧げ、身を乗り出して石に口付け。額を数分だけそれにつけて、スザクは胡坐をかいてその前に座った。
 どれだけの時間がたっているのかわからない。けれどこの、何もしない時間はまるで苦痛ではなかった。この埋められた土の真下に、自分の最愛が眠っているのだ。本当は自分も傍に行きたいけれど、でもここまでが彼に許された最低ライン。
 びゅう、と一度強い冷風がスザクを襲い、少し身震いをしてからスザクはポケットの中の懐中時計を取り出した。その短針は十二に限りなく近い十一を差し、長針は後一回で、十二にその身体をあわせる。
「―――ルルーシュ。後一分で、君のいない・・・初めての誕生日がやってくる」
 じっと前を見据え、スザクは時計をコトリと地面に置いた。墓石に刻まれた名前をなぞり、撫で。かちり、と秒針が十を差したところで、スザクは手を離した。
「・・・・10」
 作らなければ。作らなければ。怖い顔は駄目だ。ルルーシュが泣く。
「9、8、7、6、5、4、」
 ルルーシュはスザクの甘い笑顔が好きだったのだから。甘えるようにルルと呼んで、騎士と恋人の境界線を必死に守って甘えてくるのがたまらなく可愛いと思っていたのだから、怖い顔は駄目だ。泣き顔も、駄目だ。
「3」
 スザクが泣くたびに馬鹿だなと笑って、涙を拭ってくれた彼女はもういないのだ。
「2」
 スザクが悩めば一緒に悩み、自分のことのように考えていたルルーシュは、もう。
「1」
 好きだと言ったら好きだと返して、愛しているといったら真っ赤になりながら愛してると言ってくれた、彼女は、―――ルルーシュは。

「―――ハッピーバースデー・・・ルルーシュ」
 十八歳の誕生日、おめでとう。


 堪えきれずに零れ落ちた涙は、この真冬には不釣合いなほど熱かった。



I want my LOVE back
03. "How Oold Aare Youu?"



 ーーー歩を進めれば、夜を守るようにひっそりと聳え立つ森の中に、スザクは帰るべき離宮を見た。


 夜の帷がすっかりと降り、ほとんどの人が眠りについている時間。この離宮の住人を起こさないように、と控えめに離宮の玄関をノックしようとしたスザクは、すかさず無音で開かれたドアに一瞬ひるみ、そして次の瞬間には見知った人物に顔をほころばせた。
「咲世子さん」
「お帰りなさいませ、スザクさま」
 にこやかにスザクを出迎えたこのメイドは、相変わらずずっとこの離宮で、彼女に仕えてくれている。本来ならば、自分つきの使用人として日本から派遣された彼女。スザクがもう一人で、離宮より離れて暮らしている今となっては、彼女がここにいる意味も、義務も無いはずなのに。それでも彼女は、スザクが愛したたった一人の忘れ形見を心から思い、世話を続けている。
「・・・ただいま」
 このセリフを、この離宮で、日常的に使わなくなってから既に久しい。彼女と過ごしていた年月と比べれば、驚くほど短い時間だというのに、一人離れてしまっただけで、こんなにも時が長く感じてしまう。少し照れくさくまでなってしまった挨拶を返せば、柔らかく微笑んだ咲世子がそっとスザクを招きいれた。
 暖かい、一定の温度に保たれた広い空間。全体的にしろと、柔らかい深紅で統一された部屋は、やはりどんな時でも暖かかった。
 雪の積もった庭が眼に映る。その中心にあるサンルームで見慣れた姿を見つけたスザクは、一つため息を落として庭に出た。踏み出すたびにしゃくりと雪が音を立てて、後十歩というところで儚い姿が顔を向けた。その可愛らしい顔に浮かべられた微笑は確実にスザクに向けられていて、そして向ける相手をわかっていた。
「ナナリー」
 すこしの音も立てずに空いたドアから滑り込み、鮮やかな桃色を際立たせる薔薇のそばに寄ると、ナナリーがそうっと手をさし伸べて来た。
「まだ、おきてたんだ?」
「ええ、スザク義兄様」
 ちゅ、と白魚の指先に口づけてから、スザクはナナリーの髪を梳いた。
「スザク義兄様・・・手が冷たいです。さては、お姉様の墓前に直接参られましたね?」
 スザクの両手をそっと握り込んだナナリーが、む、と僅かに眉に皺をよせて唇を尖らせた。そんな彼女に苦笑しながら眉の皺を親指でほぐして、スザクはごめんごめんと返した。収まらないのか、ぷうぷうと頬を膨らませたナナリーが、頬を赤くする。
「ずるいです、一人だけ。お姉様のお墓の前で、お姉さまにお祝いを言えるなんて。私は、お姉様のお部屋でお祈りしたというのに」
 もう、もう。子供っぽさを保ちながら、スザクの両手を上下にふる。片手だけをそっと抜き出して、スザクはナナリーの髪を撫で付けた。
「君が風邪なんてひいたら、一番心配するのはルルじゃないか」
「わかってるから悔しいんです」
「なら話は早い。今日は談話室で、苺のケーキでも食べながらおしゃべりに興じて、一夜を明かそうか、ナナリー?」
 立ち上がって後ろに周り、車いすを押す。うふふ、と笑って同意したナナリーは、昼間に仮眠もばっちりすませて準備万端らしい。
「ケーキを食べながら夜更かしだなんて、お姉様に怒られてしまいそうです」
「一緒に怒られてあげるよ。ただし、『スザクさんがやろうって言い出したんです』なんて言って逃げるのは、やめてくれよ?」
「うふふ」



僕と君と、心の中で生きて逝こう。

2012年5月18日