「・・・ユー、フェミア、コーネリア」
パラリ、と白い紙が大理石の床に落ちた。
「・・・と、枢木、スザク」
指先から滑り落ちた二枚目の紙が、目に見えない風を受けてヒラヒラと舞い、先ほどとは違う場所に落ち着いた。
彼女がそれを拾うことは無い。
「・・・コルチャック」
三枚目の書類には、エリア11でのリフレイン薬の密売に暗躍しているブリタニア貴族の名前が記載されている。
それを大して面白くなさそうに見ると、羽根ペンの先にインクをつけ、さらさらと書類にサインをした。
名前と日付を書くことによって決定された男の処分状を今度は指ではじくように机から落とすと、
机の前に落ちたのか見えなくなった。
「・・・コードQ1P45・・・ロ、ロ?」
次いで目を落とした書類に書かれている名前は記号であり、隣にロロという名が括弧内に表記されていた。
それもまた興味なさそうに見やると、適当に『許可』の欄にチェックを入れてサインをする。
なんてことは無い、ブリタニアにとって害にしかならない男を暗殺するための人間はコレで良いかと最終許可を求めているだけだ。
それを机から落とそうと思いながらも、あまり手は動かない。
頭がくらくらしてきて、瞼が閉じそうになるのを必死に押しとどめる。
次の書類に目を走らすけれど、既にミミズのようにしか見えなかった。
もういいや、と瞼を完全に閉じる。
後は木々のささやきに身を任せるのみ、と思ったその矢先。
「ルルーシュ。眠いのに仕事してたのかい?」
「・・・シュナイゼル、兄様」
目を伏せかけた瞼を、ゆっくりと力を入れて押し上げる。
耳に最愛の兄の落ち着いたテナーの声音が聞こえてきて、まるで子守唄のようだとルルーシュはおもった。
とろんとした表情でゆっくりと見上げているルルーシュを見て苦笑し、
シュナイゼルが床に散らばった処理済の書類を一枚一枚ひろっていく。
集め終わったそれをトントン、と机で整えて置くと、
いまだ寝ぼけた表情で自分を見上げてくる彼女の腕を優しくつかんで、立ち上がらせる。
「ほら、眠いならベッドへ行くかい?」
「兄様は?」
「私は君とお茶をしようと思ってきたのだけどね、お前が眠いのなら・・・」
帰るよ、と言おうとした兄の唇を、そっと背伸びして人差し指でふさいだ。
「・・・お茶に、しましょう。気分転換がしたいんです、兄様」
きょとんとした次の瞬間にゆるりと微笑んだ兄を見たルルーシュは、目元を和らげて綻ぶように笑った。
かかとを下ろさせて、唇に添えられたままの指を丁寧にそっとはずすと、シュナイゼルは小さくちゅ、と指にキスを贈った。
そのまま指を離さずに手を絡めると、ぴったりとルルーシュが身を寄せてくる。
さらさらとした美しい黒髪の頭が肩よりも少しだけ低い位置に落ち着く。
桃色に色づいた唇と、抱き込まれた腕を無意識に包む柔らかな胸の感触で、
シュナイゼルはルルーシュにわからないようにそっとため息をついた。
ルルーシュ、大人になったなぁ。お兄ちゃん、心配だ。
我が兄はキング
「・・・で、今日は何の書類だい?」
「相変わらずの、枢機卿のお仕事ですよ。不正とかのね」
先ほどとは打って変わってキッパリとした落ち着いた声音に、シュナイゼルはうーんと満足げな笑みを顔に乗せた。
我が最愛の妹は先ほどまでのとろんとした表情も良いけれど、
やはりこのように女王の雰囲気を醸し出しているほうがよっぽどいい。
なにより、自分には守られないと生きていけないような姫君よりも、
隣で勇ましくたっている女王のほうが好ましいと思う。
「妹のユーフェミアの名前もあったようだけど?」
「副総督から引きずりおろそうと思いまして。あんなのに統治されたらエリア11の民がかわいそうです」
「おやおや、ひどいことを言うんだね。仮にも妹だというのに」
「私の妹は過去にも今にも未来にも、ナナリーだけです」
四分の砂時計の砂がすべて落ちきると、ルルーシュはあらかじめ暖めておいた二組のカップにミルクを適量注いだ。
次いで出来上がった紅茶を並々と注ぎいれ、シュナイゼルのカップにはひとつ、自分のには二つ、角砂糖をそっと落とす。
スプーンをソーサに添えて兄に手渡すと、ありがとうという声と共に紅茶の熱が指先から消える。
「・・・今日は、ヘレンドのティーセットにしてみました。Fleurs des Indes Vertes、ご存知ですか?」
「ヘレンドの長命のベストセラーの一品だね。
皇帝ナポレオン三世ウェージニ皇妃の目に留まったことで幅広く知られるようになったと聞くよ。
・・・茶葉はフォション、どうかな」
「正解です。さすがですね」
「はは、年の功ってヤツかな」
砂糖を馴染ませた紅茶を口に運ぶ。
妹が手ずから入れた紅茶の美味に舌鼓を打った。
目の前の満足そうな笑みを見ると、こちらも自然と幸せな気分になる。
話を戻して悪いけれど、と断って先ほどの書類の話になると、ルルーシュはとたんに面倒くさそうになった。
目線でそれとなく促すと、疲れた風にポツリと話し始める。
「・・・姉上がユフィを副総督に推すなんて、何の間違いかと思いましたよ」
「コニーはユフィが心配なんだよ。ルルーシュも姉だから、わかるだろう?」
とりあえずコーネリアの面目を保つために軽く言ったが、それは逆にルルーシュの琴線にふれたらしかった。
「私だったらナナリーはアリエスに残します。テロリストの制定も出来ていないエリアなんかよりずっと安全です。」
「そうだね。まぁ、ユフィに政治を学ばせるという名目もあったんだろう?」
「それが納得なりません。留学という形でならまだしも、いきなりエリアのツートップだなんて・・・」
はぁ、と呆れたようにテーブルに肘をつき、頭を乗せてため息を吐く姿に苦笑する。
「おや、ルルーシュは10歳で既に私の政務の補佐をこなしていたじゃないか。
むしろ第四皇女であるユーフェミアの立場でまだ政務についていないほうが、異常だよ」
朗らかにそう言い放つと、ルルーシュが目の前でうげ、という顔をした。
いつだったかの日のルルーシュ曰く、異常などという言葉はせめて朗らかな顔では言わないほうがいい、らしい。
理由は胡散臭く見えるから、など。
「それで、コーネリアも下ろす理由は?」
「別に総督として問題があるわけじゃありません。
ただ、最近エリア17が鬱陶しいんです。平定に向かってもらおうと思って」
「コーネリアには」
「この間通信でそれとなく話しました。
ユーフェミアのことは抜きにして、政治ではなく軍事に関れることが嬉しいみたいです」
「コーネリアは武人だからね。やはり政治では色々と行き届かないのもあるんだろう。代えの人材は?」
「今リストアップ中です。カラレス将軍、リジー将軍、あと、多分アプソン将軍でしょうか」
「多分?」
「ちょっとおばかなんです。功名心が高いみたいで」
なるほど、と返して紅茶に口をつけると、ほんの少しだけぬるくなってしまっていた。
一気に煽って飲み干すと、カップをちょっと持ち上げておかわり、と催促をする。
その視線を受けて紅茶をカップに注いだルルーシュを見て、もう一人興味のあった人物の名前を上げてみる。
「そういえば、枢木スザク・・・ゲンブ首相の嫡子だったね。まさか、ユフィの騎士になるとは。」
「何言ってるんです、貴方の管轄でしょう?ランスロットのテストパイロットです」
「ああ、そういえば。処分するのかい?」
「まだ考え中です」
自分も新しく入れなおした紅茶を口にする。
少し苦くなってしまったかもしれない、
と思いミルクを多めにして砂糖を今度は三つ入れると、ふと考えてからシュナイゼルに問いかけた。
「シュナイゼル兄上。枢木スザクのこと、どうお思いですか」
「どう、とは?」
とぼける兄を軽くにらむ。
「とぼけないでください。
アレはブリタニアの騎士を理解していない・・・与えられた騎士候という身分、
あれはユフィの騎士ではなくてランスロットのデヴァイサーとして認められたが故の拝命だと思っているでしょう?」
ルルーシュの発言に、内心笑みを深くする。
妹の考えはもっともだった。
スザクの主であるユーフェミアは軍属ではない。
故に、その騎士であるスザクも軍属ではなくなる。
よって軍の技術部、シュナイゼルの直属管轄である特派に在籍し、
第七世代KMFランスロットのテストパイロットとして活躍することはもうできない。
なぁんで気づかないのかなぁ、というスザクの上司であり、
シュナイゼルの悪友でもあるロイドの声が聞こえてきそうだった。
「さぁ・・・ね。少なくとも、彼がユフィの騎士であり続けるのならば、
もちろん軍は抜けてもらうよ。私の管轄になど以ての外だね」
「当然です。騎士を拝命したのに、その騎士が主のそばに四六時中ついていないだなんて。
特派の仕事が無い日は学校に通っているそうですよ」
「・・・学校?」
アホか。
素直にそう思った。
そしてその表情が素直に出たのか、目の前のルルーシュもでしょうでしょう、とばかりにうんうんとうなずいている。
いつもならば穏やかな笑みでそんな感情は表情に出さない自分であるが、
どうやら最愛の妹の前になるとそのアルカイックスマイルも崩れるようだった。
「やれやれ・・・ユフィ、あの子も困った子だね」
「大方、差別される名誉ブリタニア人がかわいそうとでも思ったんでしょう。
だから比較的交流のある枢木を指名した・・・というところでしょうか」
「あとコニーへの反発かな。あの子はお飾りと呼ばれるのを嫌っているようだから」
「呼ばれるのが嫌なら姉上にでも言って何かさせてもらえればいいものを」
「『シュナイゼルお兄様、お姉さまは何もさせてくれないの』とこの前泣きつかれてしまったよ」
「出来ない人間にやらせたって仕方ないでしょう。情勢が悪くなってもよくなることなんてありませんよ」
メイドが運んできた苺ミルフィーユをゆっくりとフォークで崩し、口に運ぶ。
サクサクした層の間にたっぷりとはさまれた苺とクリームが絶妙で、思わず顔が綻んだ。
今日のこのデザートを作ったであろう張本人に、お礼を言わなくては。
「にしてもルルーシュ、このミルフィーユはおいしいね。いつ作ったんだい?」
「ふふ、ありがとうございます。それは今日の政務が始まる前・・・朝食をとった後です」
「上手いものだね。陛下も好きだと聞いているよ」
「たまに持ってくだけですよ?クッキーとか、マフィンとか」
二切れ目を口に運ぶと、ふとかすかに酒の香りが漂った。
リキュールを少々入れたのだと納得して、二杯目の砂糖を入れなかった紅茶を一緒に飲んだ。
色々と不平不満を兄に愚痴って満足したのか、比較的落ち着きを取り戻したルルーシュが再度紅茶を口に運んだ。
彼女の皿のミルフィーユはもはや三分の一ほどしか残っておらず、
しゃべりながらも食べる手と口は止めていなかったのかと認識した。
まあ、ルルーシュの甘いものに対する思いはとことん、である。
しかもそれが自信作であるのなら、ごはんが進むならぬフォークが進むというやつだろう。
「ユーフェミアはなんというか・・・アレですね、ペルソナノングラータってやつ」
「ああ、『外交上好ましくないと感じる人物』のことだったかい?」
「だってアレが外交なんてしたら、いろんな意味で相手の国が疲弊すると思うんです」
「ははは、否定できないところが面白いね」
さらりとお茶をしながら毒を吐くその姿は、某マッドからしてみれば「うわぁ性悪ぅ」というところだろうが、
そんな二人の日常はアリエスの離宮に勤めるメイドたちからしてみれば目の保養でしかなかった。
もともと警戒心が強く、たった一人でアリエスに住んでいるルルーシュの使用人たちは、皆一癖も二癖もある者たちだ。
ルルーシュの厳しい審査を潜り抜けてその仕事を勝ち得たそのものたちは、ルルーシュへの忠誠心もさることながら、
どんな機密情報を仕事中に耳に挟んでも、どんな光景を目にしたとしても仲間内でささやくことなく、
見ざる聞かざる喋らざるを徹底しているのだ。
そんな彼らであるから、たとえ使えるべき主とその兄が腹黒い会話をしていようと、気にすることはまったくない。
会話は右の耳から左の耳へ、そして空のかなたへスルーしていくのだから、その光景だけ見ればいいのだ。
美丈夫と美少女が微笑みあい、お茶をする姿は目の保養眼福幸せいっぱいだ。
「で、エリア11にはいつ行くんだい?枢機卿のことだから、直接赴くのだろう?」
「二週間後に行く予定です。兄様は?」
「そうだねぇ。あちらはロイドの特派もあることだし、私も一緒に行こうかな」
あっさりと宰相の仕事をサボる発言をしたシュナイゼルに、一瞬ぽかんとなったルルーシュだが、
次の瞬間にはいつものことのように笑みを深くした。
「兄様、あんまりマルディーニ伯に迷惑かけちゃ駄目ですよ」
「わかってるよ」
お茶を飲み終えた二人は、そろって席を立って庭のほうへ足を向ける。
緑の色が濃い、太く樹齢の高い木の根元でルルーシュが膝を折って座ると、
シュナイゼルが頭をその膝に休めるように横になった。
シュナイゼルの髪をすくように撫でるルルーシュの手で目を閉じると、自らも手を伸ばしてルルーシュの頬を撫でた。
「ルルーシュ、来年、やるよ」
頬を撫でていた手で、ルルーシュが微笑んだのがわかった。
「では、ぜひとも私を宰相に召し上げてくださいね」
「もちろん」
うっすらと目を明けると、慈愛に満ちた表情でルルーシュがシュナイゼルを見下ろしている。
こういうところがやはりマリアンヌ様にそっくりだと、今は亡き皇妃を思い出すと、シュナイゼルは再び目を閉じた。
「私の作るブリタニアを、お前はずっと横で見守ってくれるだろう、ルルーシュ?」
「もちろんです、シュナイゼル兄様。ルルーシュは、あの春の日から、いつだって貴方と共に」
シュナイゼルがルルーシュの頭をそっと引き寄せ、その形のよい額にそっと唇を押し当てた。