アリエス宮に通信が一本。
発信源はここより更に東の日本。
ホストは神聖ブリタニア帝国第一試験浮遊航空艦フローレンス。
発信者はシュナイゼル・エル・ブリタニア。
シャワーを終えてピンク色のバスローブを身に纏ったルルーシュは、
モニターに映し出された通信要請の表示にきょとんと目を張り、そしてとことこと歩み寄った。
エンターキーを押すことによってシュナイゼルの名前が映し出される。
クイックメッセージ機能を使って「着替え中のため五分待ってください」と送信すると、
かけられたままの通信を保留状態にして体に付着している水分を慌ててぬぐった。
手早く下着を身に着け、夜の10時であるため淡いパステルカラーのネグリジェを頭からかぶって足首まで落とし、
前のボタンをとめる。
ソファに放ったバスローブをメイドに片すように言いつけ、再びモニターの前に向かう。
前に差し出された椅子に深く腰掛けて、通信ボタンを押す。
ピッという音と共に映し出された兄の顔に、居住まいを正した。
『やあルルーシュ、すまないね、こんな時間に』
「いいえ。そちらは昼でしょう?」
『うん。してはルルーシュ、君に吉報があってね』
「・・・吉報、ですか」
うん、と答えた兄の笑顔に凄みが増す。
ああ、終わったのだと瞬時に悟ったルルーシュも、顔に貼り付ける笑みを深くした。
『一ヶ月前、われらが神聖ブリタニア帝国が11番目の植民地となった日本―――エリア11の首都地トウキョウに、
租界及び政庁を無事立ち上げた』
ひいてはルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、君にエリア11迎賓館で行われる祝賀会にて、
私のダンスの相手を勤めていただきたい。
吉報の後に告げられたなんともいえないお願いに、ルルーシュは声を立てて笑った。
我が主と腹黒
「ご確認いたしました、グレゴリオ・サマセット伯爵。こちらへどうぞ」
「ようこそいらっしゃいました、ジョサイア・ハーウッド子爵」
煌びやかな飾りつけがなされた迎賓館の前に、高級車が続々と止められていく。
運転手の手によって車内から現れた貴族や名家の紳士淑女が次々とビロードを進んでいき、階段を上っていった。
すでに沢山の来客が居る。
メインフロアへと続くホールの端に、質素ながらも質の高い受付カウンターが設置されており、
招待客たちは皆カウンターのボーイに招待状を見せていた。
渡された招待状の中身の、名前とシュナイゼルのサインとその捺印を確認し、
招待客リストに同様の名前があるかどうかをチェックする。
それらをすばやく行い、全てがクリアして初めて招待客たちはメインフロアに足を踏み入れることができるのだ。
ビュッフェ形式で執り行われている今回の祝賀会のフロアは大理石で出来ており、
高い天井に取り付けられたいくつものシャンデリアによって光が反射し、まるで美しい氷上の上にいるようだった。
その奥にある中央の階段のそばでは、壇上に立っているようシュナイゼルが微笑をたたえながら周りを見渡している。
ふと目に付いた上位貴族の貴婦人に挨拶をしたりと、皇子としての義務は忘れずに、
絶えずホールの方を見つめるシュナイゼルは、彼をよく知る者からしてみれば落ち着きがなく、
そわそわしている印象を受ける。
招待客たちが現れ初めて二十分ほど経った後、側近であるカノンがそっとシュナイゼルに近寄り、
手を添えながら耳に口を寄せた。
目を伏せながらそれを静かに聞き入ったシュナイゼルは、わかった、といいながら笑みを深くし、階段から降りた。
向かう先は迎賓館の入り口。
ルルーシュは自分の背中に回ってせっせと身支度を手伝っているロイドに目を向けた。
楽しそうにフンフンと鼻歌を歌いながら手を動かし続けているロイドは、
ルルーシュの後ろのリボンを結んでいる最中である。
「殿下、きつくないですかぁ?」
「大丈夫だ」
身体ごと車の窓の方に向いていたルルーシュが静かに答える。
それを聞いたロイドが今度は座席から降りて床に膝を着き、衣装箱から真っ白なタイツを取り出した。
「ルルーシュ様ぁ、今度はこっち向いてください」
「ん」
言われたとおりに前を向けば、ロイドがルルーシュの膝を軽く引っ張って浅く腰掛けさせた。
クルクルとタイツを巻き取りながら、足先が入るくらいまで丈を短くすると、
立てた右膝においてあったルルーシュの左足にひっかける。
右ひざに左足を肘で固定しながら、一旦タイツを膝まで押し上げた。
薄くピンと張ったタイツを確認してから、もう片方の足の先をタイツにひっかける。
また膝まで押し上げたタイツを、今度は一気に太ももへ押し上げると、
ロイドはルルーシュの腰に腕を回すようにしてルルーシュを若干立たせる。
「殿下、ちょっとだけ腰あげてください」
せぇの、の合図でルルーシュがちょっと腰を上げた瞬間に、残っているタイツをヒップまでぐい、とあげた。
着替えのために触りはしてしまったが、さすがにスカートのしたはみていない。
いくらロイドがルルーシュにとって気心の知れた相手であろうと、やはり彼女はもう10歳である。
段々と年頃になっていくこの年齢には気をつけなければ、なにがどうなるかわかったものではない。
自分でタイツを引っ張ったり下げたりなどして違和感を修正しているルルーシュを横目で見て、
ロイドは今度はエナメルの靴を取り出した。
「新作ですよぉ、ルルーシュ様。シュナイゼル殿下が直々に選ばれた一品です」
スッと差し出された足に丁寧に履かせ、ストラップを巻いてボタンを留める。
少しよれた髪をブラシで整え、ドレス全体の皺を手で直せば、ドレスアップをしたルルーシュの誕生だった。
ナイトメアフレームでいい実験結果が出たときと似たような達成感を味わったロイドは、
満足げな笑みでルルーシュを見、彼女の隣に座った。
「にしても急ですよねえ、だって連絡来たの昨日ですよ昨日!」
「騒ぐな。兄様はまあ・・・ほら、気まぐれなお方だから」
「だからって、ねええ?昔っからあの性悪はぁ」
ブリタニア皇族御用達の学校の、初等部に入学したときからの付き合いであるからして、
ロイドからしてみれば悪友の気まぐれさは慣れ以外のなんでもないものの、うんざりする面もある。
それに加えて自分が膝を折ってもいいと感じたルルーシュに対しても―――シュナイゼルがルルーシュを何よりも大切に、
慈しんでいるのは目に見えるほどあからさまであるが―――その気まぐれさを発揮するのだから、
こちらとしては止めてもらいたい。
照明の下でパラパラと招待客の名簿をめくっているルルーシュを見て、ロイドははぁああとため息を吐いた。
性悪が居なくなって、ルルーシュさまとゆっくりできるかと思ったのにぃーっ!!
ロイドはルルーシュの筆頭騎士第一候補として名を連ねているから、
ルルーシュが自分を唯一の供としてエリア11に連れてきてくれたのは純粋に嬉しい。
嬉しすぎるくらいだ。
けれどそれが兄シュナイゼルに会いにいくためだなんて、ちょっと泣きたくなった。
『―――ルルーシュ殿下、アスプルンド伯。到着いたしました』
気持ちをさっさと切り替え、開けられたドアから一歩踏み出す。
ついで車の隣に片膝をついて手を差し伸べれば、細く、年ゆえか若干ふっくらとした白い手が伸びてきた。
それを丁寧に取って引っ張れば、するりと今夜のメインゲストが現れる。
すでに迎賓館の入り口、ビロードの終着点でルルーシュを首を長くして待っているシュナイゼルを確認して、
ルルーシュが軽く会釈をした。
「第三皇女ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下、ご到着!!」
「―――まぁ、ではあちらが?」
「ええ、シュナイゼル殿下の懐刀だそうですわ」
「御歳は10歳だそうですけれど、もう政務に尽力していらっしゃるとか」
「明確な役職は無いものの、皇子殿下の補佐を勤めてらっしゃるそうよ」
「とてもお可愛らしい姫君ですわね」
バシャバシャとうるさい音を立てながらたかれるフラッシュの音を気にも留めず、ルルーシュはビロードの上を進んだ。
先にビロードを踏んでいたはずの貴族達は皆ビロードの端により、頭を下げたまま動かない。
ビロードの両面に立てられた柵から身を乗り出すようにして写真を撮り続ける記者たちを身体を張って止める
警備員達もルルーシュの目には映っておらず、その凛とした姿は女王のような品格をかもし出している。
頭を下げたままひそひそと言葉を交わす貴婦人達を一睨みでもって黙らせると、
ルルーシュはロイドを斜め三歩後ろに従えながら階段を上った。
視線の先にはシュナイゼルがいる。
柔和な笑みとともに差し出された手を取るために、すこしだけ足取りを早くした。
「シュナイゼル兄様!」
指と指の先が触れた瞬間に手をひっぱられ、懐に引き込まれる。
気づいた時にはもうすでに暖かい体温が身体全体にわたっていて、
嬉しさにルルーシュは腕を回せるだけシュナイゼルの背中に回した。
「シュナイゼル兄様、会いたかった」
「私もだよ、ルルーシュ。全く、君と数ヶ月も離れてるなんて耐えられないね」
「私は兄様の仕事に耐えられませんでした」
意地悪くそう言って見ると、シュナイゼルが苦虫をつぶしたような顔をした。
その表情にころころと笑うと、そっと兄の背中から腕を放す。
シュナイゼルもルルーシュの身体を離すと、笑いながら少しだけ腰をかがめて左手を差し出した。
「今宵は私と踊っていただけますか、姫?」
「―――あれが桐原泰三?」
「ああ。隣が枢木ゲンブの嫡男、枢木スザクだ」
「私と同い年だとか」
「彼の方が数ヶ月年上だそうだけど、どうも実の無い頭をしていそうだね。
さっきからこちらをギラギラとにらんでくるよ」
「ふふ、可愛いじゃないですか?―――ライオンに噛み付こうとする子猫みたいで」
トゥで左足を右に下げ、ステップを踏みながらルルーシュが笑った。
ひょうひょうとしながら、
こちらをギラギラとした獣を狩るような目で見つめているスザクを逆に観察していることを悟らせていないこの兄妹を、
ロイドが壁にもたれながら見ている。
ちなみに彼は皿に五個ほどプリンを積み上げて絶賛賞味中だ。
隣に居るカノンはそのプリンの乗っている皿を見てはきそうな顔をしている。
きっとこのマッドと知り合い、もしくは同類だと思われたくないと思っているに違いない。
微笑み合い、話しかけ合いながらクルクルとダンスフロアを進んでいくこの兄妹を、招待客たちがほう、と見とれている。
どうせこの二人が兄妹らしく愛を囁きあっているとでも思っているのだろうが、
それが全くの見当違いであることを、この空間ではロイドとカノンだけが知っていた。
見目麗しい兄妹間で、人を完璧に馬鹿にした腹黒い会話しかされていないだなんて、誰が信じるだろう。
「子猫、ねぇ・・?子猫はもっと可愛い動物のはずなのだけれど」
「じゃあ、牙を持っているくせに向ける相手がわからない、かわいそうな頭の肉食獣、と言ったところでしょうか」
「はは、じゃあ隣の桐原翁はさしずめ・・・狸、かな?狐ほど人を騙すのがうまいわけではないようだから」
ちら、と枢木スザクに目をやれば、ぶるぶるとこぶしを振るわせていた。
その肩に桐原が手をポンと置き、落ち着けといわんばかりに撫ぜる。
懸命に桐原がはなしかけていることから、ブリタニアへの対応でもなんでも諭しているのだろう。
少しずつだが、どんどん落ち着きを取り戻していった枢木スザクを見て、ああもったいない、と思う。
ちらりと兄を見上げれば、彼も同じような表情で枢木を見ていた。
半分しか血が繋がっていないというのに、つくづくこの兄は自分と思考回路が似ていると感じた。
今度行く母マリアンヌとナナリーの墓参りには、二人して同じ華を選んでしまいそうだ。
もう一度ちらりと目をやると、もう枢木スザクの目に激情は映ってはいなかった。
いや、映ってはいるのだが、それを殺気として表にだしていない。
面白くない。
非常に面白くない。
兄もまたまったく同じことを考えたのだろう、顔をあわせた瞬間に同時にため息をついてしまった。
「楽しくないね、ルルーシュ」
「楽しくないですね、兄様」
「せっかくもうちょっと絶望的な顔が見れると期待してたのに」
「もうちょっと日本にとって不利な行動を取ってくれれば面白かったのに」
「首相の息子といっても使えないな」
使えない。
シュナイゼルの発したその一言でぴーん!と頭上で豆電球が光った。
さりげなくシュナイゼルの腕をひいて、ダンスの主導権を握る。
L.O.D.に沿って壁に近づけば、シュナイゼルが優しく微笑みながら指の背でルルーシュの頬をなでた。
「・・・どうしたんだい、ルルーシュ?」
「名案を思いついたんです、兄様」
指の背だけでは足りないとでもいうように、ルルーシュが目を閉じて掌に擦り寄る。
本物の子猫のような反応に笑みを深くして、シュナイゼルはルルーシュの米神に口付けた。
「・・・わかった。いいよ、ルルーシュ。行ってきなさい」
「行ってきます。兄様はロイドとプリンでも食べててくださいね」
「それはイヤだ」
苦笑した兄を振り返らずにまっすぐ歩く。
どんどん近づいていくその姿を見て気分が高揚した。
近づいていく度にその顔を嫌悪に染め上げるのがなんとも面白い。
「始めまして、枢木スザク。私はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。私と踊ってくださるかしら?」
さあ、我が掌の上に、枢木スザク。
這いつくばって抗って、惨めに喘いで生きて生きて死にたがるその姿を、何をするでもなく見といてあげる。