ハローベイビー
息が切れる。
足が悲鳴を上げる。
歩いて二時間掛かる距離を止まることなく全速力で走りぬけているのだから当然だが、
それでも止まるわけにはいかないのだ。
いつもは腰下でゆれるだけの髪が風に吹かれながら頬をたたき、鬱陶しくてたまらない。
髪がバッと視界をさえぎったところでようやく止まった。チッという舌打ちとともに懐から髪紐を取り出す。
歩いていたはずが段々小走りになりながら、高く頭上で髪を一まとめに結ぶと、星刻は再び走り出した。
部下の香凛の所に、いつもの身分証も刀も置いてきて、ただ走るしかない。
向かう先は蓬莱島。先ほどカレンがものすごい形相で通信をいれ、
それによって状況を知った星刻は慌てて朱禁城を飛び出した。
カレンの後ろではヤンヤヤンヤと扇が駆け回り、朝比奈がガクブルガクブル震え、
杉山があわあわと円を描きながら歩き回り、南は天子様隠し撮り写真にお祈りし、千葉はコッキンと固まり、
藤堂は目を伏せ腕を組みながら壁にもたれながら静かにしているが、明らかに足が震えていた。
『ホラァ、何してんのよぉ!千葉とカレンと三人娘は手伝って!男は出てけ!』
C.C.はもう始めてんのよォ!
部屋から白衣とマスクを身につけ、長い髪を後ろにくくって出てきたラクシャータが怒号を飛ばす。
それを合図にわれに返った女性陣がハッとラクシャータに続き、カレンも星刻との通信を一方的に切っていってしまった。
だが要するに、カレンの言いたいことは(かなり支離滅裂だったが)理解できた。
つまりは、そう、つまりは、予定よりも一ヶ月早いが、だが―――!
二時間掛かるはずの道のりを五十分で走りきった星刻は、その場所に着いたころにはすでに息も絶え絶えだった。
星刻の体力が無いわけではない。
しかし、何キロもの道のりを自分の出せる限りのスピードを緩めることなく走ってきたのだ。
体力が足りなくなったのも当然といえる。
しかし、今はそれで止まっていられる状況じゃあない。星刻は少しだけ息を整えた後、急いで建物の中へ入った。
星刻の姿を見つけた団員達が最上階にいるとつげ、わざわざエレベーターを用意して待っていてくれていた。軽く礼を告げて乗り込む。
最上階に着くまでの間を呼吸を整える時間に使いながら、星刻は運動後のそれとは違った動悸が胸に巣食うのを感じていた。
これは明らかに、幸せや嬉しさなどから来る緊張だとわかっていたからこそ、星刻はそれを放っておく。
どうしよう、このような幸福感は初めてだった。
ポーン、とエレベーターが最上階であることを告げる。
エレベーターのドアが開ききるのも待ち遠しいというように、こじ開けるようにして星刻が滑り出た。
呼吸だとか動悸だとかはもうどうでもいい。
走る。それだけだ。
うろうろと通路をさまよっていた扇が星刻の姿を認めた瞬間、ほっと安堵するよに方の力を抜いた。
星刻!という声によって、通路に居た幹部達がバッと顔を上げて星刻に駆け寄ってくる。
突然痛み出して、ラクシャータが、なんか危なくはないけど云々かんぬん、
身振り手振りを加えながら意味の無い言葉の羅列を繰り返す。
一人輪に加わっていなかった藤堂は一番まともな判断力を使い、
女性陣と彼女のいる部屋のドアをカードキーをスライドして開け、星刻が着いたことをラクシャータに知らせた。
程なくして現れたのは千葉で、消毒をしたエプロンと帽子とマスクと手袋をした彼女は所々血に濡れていた。
その姿に顔を青ざめさせたのは星刻含める、男幹部全員だ。
「ちちちちちち千葉、ちちちっ血がっっ」
「落ち着け扇・・・星刻、良かった」
「あ、ああ・・・それで、彼女は?」
「中にいます。でもまだダメ」
「そ、そうか」
それだけ言った千葉が部屋に入っていった瞬間、はぁああ〜〜〜っと扇たちが肩を落とす。
千葉が出てきた瞬間からすでに緊張状態がピークに達していたのだ。
当事者である星刻などはもう顔も真っ青で、オロオロしている。普段の彼らしからぬ態度だ。
「・・・座らないか」
「そうだな・・・」
静かにそう提案した藤堂の言葉に、それぞれがベンチに座りこむ。
「女の人ってさぁ・・・強いよなぁ・・・」
「なぁ・・・俺らなっさけ無いよな」
「『痛い』って聞こえた瞬間ビクッ!ってなったもんな・・・」
玉城が頭をガシガシとかきむしりながらぐにゃー!なんて奇声を出す。
叫びたいのはこっちだ・・!といいたいのをぐっと堪えて、星刻は祈るように手を握り締めた。
何時間たっただろう。
いや、もしかしたらまだ数分しかたってないのかもしれない。
何日もたってしまったかもしれない。
長い数秒だったのかもしれないし、とにかくとてつもなく長い体感時間がその空間を占めていた。
全員が祈るように手を握り締め、頭を伏せる。
部屋のドアに一番近いベンチに座っている星刻の指先は、力の入れすぎで白くなっていた。
全員がただ、無事で、と言う思いだった。
そして玉城がこの重苦しい空気を打開しようと自販機に向かおうとしたその時―――。
―――ギャァ。
全員がバッと顔を上げ、立ち上がった。
ドアが開き、嬉しそうに目に涙を浮かべるカレンが手招きをする。
星刻が一歩踏み出した。
―――オギャア、ャア。
なだれ込むように部屋に踏み込む。
わずかに血のにおいを充満させるその部屋の中央、広く取られたベッドの上で、黒髪の女性が一人。
その隣でタオルで額の汗をぬぐってやっているC.C.が、こちらを振り向き微笑んだ。
つい、と手をひっくり返して指差したその先には、まだ血まみれながらも、
タオルに包まれて精一杯鳴く赤ん坊が彼女―――ルルーシュの腕に抱かれていた。
ルルーシュはもう涙いっぱいで、えぐえぐと泣きながら赤ん坊を抱きしめ、顔中にキスの雨を降らせている。
「ホラ、行ってあげなさい星刻。アンタの赤ちゃんよ」
元気な女の子よ。
しばらく呆然としていた星刻が、ラクシャータの一言にハッとわれに返った。
半ば駆け足でベッドのそばへ行くと、ルルーシュが振り向く。
「星刻」
「ルルーシュ・・・あの、」
カレンの差し出した椅子に腰掛ける。
なんと言えばいいかわからずに、ルルーシュと赤ん坊を見る星刻の顔は戸惑っていて、ルルーシュが思わず笑った。
タオルごと赤ん坊を持ち上げる。
「抱っこしてやって、星刻。お前の子だよ?」
「あ、ああ・・・」
腕を上げると、手がみっともないくらいに震えていた。
のばされたルルーシュの腕に重なるように手を広げ、赤ん坊が手の上に乗る。
恐る恐る両腕を使って抱き込むと、ふにゃ、と赤ん坊が鼻を鳴らした。
「小さい、な・・・」
「うん」
呆然と、しかし感慨深そうに星刻がつぶやく。
その声音に目を閉じて、ルルーシュがうなずいた。
「暖、かい・・・」
「生きてるから」
ゆっくりとのばした指を、赤ん坊が手で掴む。
びっくりした星刻が硬直するけれど、ルルーシュが笑ってそれをほぐした。
千葉の助けによって背もたれにもたれたルルーシュが、疲れで震える腕の力で身体をずらし、星刻の肩に頭を凭れた。
赤ん坊の身体に手を添えながら、まだ少ししか毛の生えていない頭にそっと口付けを落とす。
「ほら、ちゃんと父親がお前だってわかるんだよ、この子。でなきゃこんなに安心しきってるわけがない」
なぁ?と優しく赤ん坊に語り掛けるルルーシュの顔はもはや母以外の何者でもなくて、星刻はその表情に見ほれた。
この赤ん坊が、ちゃんと自分が父であると認識している―――本当かどうかなどわからないけれど、
母であるルルーシュがそう言っているのだからそうなのだろう―――その事実がどうしようもなく嬉しくて、
星刻は目頭が熱くなるのをとめられなかった。
今までで一番熱い涙が頬を伝う。
きゅう、と赤ん坊を抱きしめる星刻の頬に唇を寄せて、ルルーシュがその涙を吸い取った。
大丈夫だと、怖がることは何も無いのだと。
その様子をただ呆然と見ていた幹部達だが、ゆるゆると緊張が解けていったのだろう、段々顔に笑みを浮かべ始めた。
そろそろと顔を見合わせ、ごくりと生唾を飲み込みながらうなずく。
涙を浮かべた男達の中心で、玉城が叫びはじめ、男達が続いた。
「う・・・まれた、んだよな」
「うん、うまれた」
「うまれた・・・」
「う・・う、 ま、 れ、」
「「「「「たーーーーーーーーーっっっっ!!!!!!」」」」」
そこからはもうお祭り状態だ。
建物の外の入り口でずっと待っていたほかの団員達や、蓬莱島に住む日本人達に、玉城がマイクで叫ぶ。
うまれた、という言葉を聴いた瞬間に、全員が持ち物をいっせいに空に上げた。
団員達は帽子を、無ければバッグを、なんでもよくて、とにかく喜びを分かち合うように抱きしめあい、涙しあった。
ゼロー!やおめでとー!など、叫びを聞きつけたルルーシュが、何事かと窓の方を振り返る。
車椅子を用意したラクシャータが、なれた手つきでルルーシュをすわらせる。
赤ん坊を腕に抱いたまま窓辺に近寄ったルルーシュが、窓の外でみたものとは、大きなバナーに書かれた出産おめでとう、
の文字だった。
窓からこちらを見ていたルルーシュを視認した瞬間、更に沸き立つ。
ルルーシュはあふれ出る涙を止められなくて、後ろから腕を回してきた星刻の腕に顔をうずめる。
どうしよう、と嗚咽を交えながら言ったルルーシュに、星刻もどうしよう、とつぶやいた。
ふにゃあ、と赤ん坊が泣く。
その声に顔を上げたルルーシュが、あやすようにして腕の中の赤ん坊を揺らした。
そうっと開けられた目の色が自分と同じ色だったことに嬉しさを隠せなくて―――髪の色は星刻寄りの黒だった
―――瞼にちゅ、と口付ける。
車椅子の傍らに膝をついた星刻も、そっと小さな額に唇を寄せた。
同調するように、二つの声音が重なる。
「「・・・・生まれてきてくれて、ありがとう」」
愛しています、我が子。
この子の半分を作り上げたあなたも。