先日ブリタニアに戦争を仕掛けられた日本から亡命してきた、
澤崎という男が助けて欲しいのだと、かくまって欲しいのだといってきた。
無論ブリタニアとの関係を考えるならば、と星刻の父親は拒否したが、
その澤崎が渾身の力をこめて握っていた小さな手首に目をやったとたん、ほんの少しだけうろたえたのを、
星刻はよく覚えている。
これは日本にやってきた皇女の一人だ、と憎憎しげに吐いた澤崎が手に力をこめる。
手首にもたらされた痛みと圧迫感にほんの少しだけ顔を顰めたものの、
鮮やかな黒髪を少しだけ乱れさせたその皇女は表情を変えることなく澤崎におとなしくされるがままにしていた。
それが、八年前の話。
ウォーアイニー!
「星刻、夕飯ー!」
「今行く」
中庭にある長いすで本を読んでいた星刻は、母屋のほうから聞こえてきた自分を呼ぶ声に顔を上げた。
短く返事をし、栞を本に挟む。
パタパタと廊下を駆ける音が聞こえる。
本を懐に入れて立ち上がると、庭に下りてきたルルーシュが腕を広げて走りよってきた。
それに同じように腕を広げて待っていると、勢い良く首に手を回して飛びついたルルーシュが星刻の名前を呼んだ。
「星刻!」
「ル・・・暁凛(シャオリン)」
二人のときならば呼べる真名も、廊下に侍女がいたのでは口に出せない。
うっかり口に出してしまった最初の音をあわてて噤み、ルルーシュを父がつけた中華名で呼んだ。
自分と視線が合うようにルルーシュを抱き上げた状態のまま数秒して、星刻が腰を曲げてルルーシュをおろす。
ルルーシュが心得ているとばかりに首にまわしていた腕を緩め、そのまま統べるようにして星刻の腕に絡めた。
「今日は父上のお客様が来ているんだ。だから、ちょっと豪華」
「そうなのか?」
「ああ。・・・何読んでたんだ?」
「ん?ああ、兵法を少しな」
「ふぅん・・・兵法か」
興味深そうにゆるりと細められた瞳にかかる、長くなった髪を指ですくって、星刻はそれを耳にかけた。
局地的な戦略では自分もかなりいい所までいくけれど、大局を見据えた戦略ではまだまだ彼女には及ばない。
「今度手ほどきをしてもらえないか」
「任せろ」
小さく微笑んで聞いてみれば、ほめられた子供のようにルルーシュが笑った。
星刻はルルーシュのこの類まれな知略と戦略を尊敬しているし、ルルーシュは武人らしい、
高い知能と戦闘能力を両方兼ね備えている星刻を尊敬している。
お互いバランスの取れたこの感情でこそ、仲違いもあまりない心地よい関係を築けいけているのだと、
星刻は自信をもっていえた。
―――ルルーシュがこの中華連邦につれてこられて、八年がたった。
そしてルルーシュは、一年前、自分をこの地につれてきた澤崎がエリア11にて崩御したのを機に、
それまで以上に心からの笑顔をみせてくれるようになった。
八年前、何度も繰り返された交渉の末、ルルーシュの身柄は星刻の家が預かることが決まった。
我が屋敷で、と進んで申し出た父の思惑の裏に、
まだ歳幼い少女にたいする心配の念が渦巻いていたのも理由の一つなのだろう。
もう澤崎が干渉してくることはない、大丈夫なのだと、心配することなど何一つないのだと、
屋敷を自分の家だと思ってくれて良いのだと何度も父はルルーシュに言い聞かせた。
なんとなく兄は嫌がった星刻の気持ちも汲んで、星刻を紹介するときは『貴方の家族です』とだけ言い、
(だって妹と呼ぶのは嫌だったし、だからといって居候のような気持ちにはなって欲しくなかった)
ルルーシュがなるべく安心できるように、ブリタニアでの出来事もエリア11―――
日本での出来事も記憶の片隅に追いやられるような、そんな幸せな日々を送ってくれれば嬉しいと。
そういった星刻の父や星刻の心からの気持ちに、次第に心を開いていったルルーシュは、
いつしか星刻の父を『父上』と呼ぶようになった。
その事を何よりも喜んだ彼は瞬間ルルーシュの手をとり、ぐるぐると喜びのままにルルーシュを、
星刻がとめに入るまでつれまわした。
それを機にルルーシュに中華名を付けることにした父が、暁凛という名前を付けるまでに一ヶ月、
人名事典とにらめっこしていたのはもう遠い話だ。
いつしか星刻は六歳下のこの少女に淡い恋心を抱くようになっていて、
それは彼女が十六歳の誕生日を迎えた日から日に日に強くなっている。
(しかし・・・これはどうにかならないものか)
ルルーシュが星刻をどう思っているのかは知らないが、星刻は間違いなく、
ルルーシュに向けるこの気持ちが恋情であると自覚している。
なのにルルーシュといえば、星刻の姿を見つけるたびにスキンシップをかましてくるのだ。
それが彼女の生まれ故郷での普通だということもきちんと心得ているし、むしろそれが習慣なのだろうが、
星刻にはそれがたまらない。
今とて、組んでいる腕に押し付けられているふくよかな胸が腕に沿ってやわらかく形を変えているのだから、
星刻は頑張ってその感触に意識を持っていかれそうにならないよう、会話に集中するのだ。
まったくいったいいつになったら自覚してくれるのか―――もしくは、自分を好きになってくれるのか。
星刻が、今のルルーシュにとって何よりもかけがえのない人間であることは自覚している。
そしてそれをなによりも嬉しく思う。
けれどそれだけでは満足できないのが男の性というもので。
もっと違った意味でのルルーシュの特別になりたい星刻としては、今の状況は色々と辛いものがあった。
もちろん、父は星刻のその気持ちをよく理解しているので、実は色々と画策してくれたりしている。
それでも彼女は鈍いのか、それとも全く意識すらしてくれていないのか、
星刻への好きを明確な恋心に変えてくれることはしないらしい。
ちょっと強引にアプローチでもかけてみるか、と考えた星刻は、
顔をのぞきこんできたルルーシュの唇をドアップで見ることになった事実にあわてて目を背けるのだった。