軍人らしく節立っている星刻の指が、なだらかに黒白の上をすべる。 最初は穏やかに、流れるように、次第に激しさを増し、 左右よりも上下に跳ね始めた指が奏でる旋律は、その場所に居た誰をも魅了した。 共にあわせて弾くには不釣合いなポジションに置かれた二台のピアノ。 奏者が背中合わせで座るように配置されているピアノの一つには、今星刻が座っている。 上品なスーツ、上品な髪紐で頭部の中心でまとめられた長い黒髪。 紳士淑女が歓談と酒を楽しむジャズバーで、彼はまさに待っていた。
そっと背中に軽い重みが圧し掛かるのに気付いて、星刻は後ろを盗み見た。 何の手も加えられていない長く美しい黒髪を、さらりと大きく開いた背中に流しているその女。 濃紺とも紫とも取れる、可愛らしくも妖艶な雰囲気を醸し出すイブニングドレスを纏った彼女が唯一身に着けている アクセサリーといえば、左の耳元に控えめに差し込んでいる黒い薔薇一輪だ。 星刻の音にあわせるように鍵盤に手を沿え、そっと旋律を重ねあわせる。 いつの間にかその場に溶け込んでいた彼女に、そっと囁いた星刻の、言葉は。



薔薇の口付け、甘く



モニター越しに映る、自分が想い焦がれる男と、その彼と旋律を奏でながら、 良く見なければわからないほどに小さく口を動かして会話している彼女。 その二人の仲睦まじく見える様に、なんだかとても泣きたくなって、天子はそっと唇をかみ締めた。 強く握った服がよれる。
「この映像は?」
「二ヶ月前の、バベルタワーのジャズバーに設置された監視カメラからの映像です。 ごらんの通り、黎総司令が映っています」
一通り見終わるまで沈黙を貫いていたゼロが口を開く。 向けられた質問にだけ応えて、ディートハルトは手元の機械で映像をズームインした。
「監視カメラの映像を最大限までズームインすると画像が荒れますので、 専門のプログラムを使って処理しなおしました」
「ふむ。星刻が話をしているな。・・・この、少女と」
「はい。映像だけで、音声はありません」
少女、と単語が出て、天子は一層強く唇をかみ締めた。自分は星刻に、恋をしている。 十一歳も年の離れた彼だけれど、天子を見つめ、全身で守ってくれるその姿は忠義に溢れている。 その忠義がいつか、 私を一人の女として見る情に変わってくれればいいのにと思うけれど、そういった兆候は感じ取れない。
その事実に悔しさを感じて、けれど同時に映像の中の彼が何時もの中華服とは違った、 フォーマルなスーツを着ている姿に見惚れた。かっこいい。 軍人らしく、けれどすらりとした体格は完璧にスーツを着こなせている。
「・・・ああ。来たか、星刻」
ゼロのつぶやきに、勢い良く顔を上げる。 隣に座っていた、もとい、寝転んでいたラクシャータと目が合えば、彼女はにやりと天子を見た。
星刻の言葉、行動、その全てにいちいち反応している天子を微笑ましくも笑っているのだ。 幼く、可愛らしい恋をしている彼女を。 そんな思いを抱かれているとも知らず、ただラクシャータの視線を居心地悪く感じた天子が、 身じろいで早々に総司令席の後ろのドアから姿を見せた星刻に視線を移す。 すばやく天子を見つけた星刻が目礼をするのを受け取って、天子は嬉しさが心を染めるのを感じ取った。 彼はやはり、いつでも自分を最優先にしてくれる。 その事実がとてつもなく嬉しくて、なぜか天子は映像に星刻と共に映っていた少女に優越感を抱いた。
「何か用か?ゼロ」
「ディートハルトが、君の映っている映像を見つけたと報告してきてね。 それもその内容が、『何かしら裏のありそうな少女との密談に見える』かららしいのだが、心当たりは?」
「映像?」
自分でも見て見ないことにはわからないと、星刻がディートハルトに再生を促す。 一つ頷いて再度始められた映像に、星刻は十秒もしないうちにああ、と溜息をこぼした。
「これは、バベルタワーの映像か」
「心当たりが?」
「ああ」
「この少女はお知り合いで?」
「そんなところだ」
知り合い。ただの知り合い。その言葉がまた天子を浮かれさせたけれど、でもそれにしては親しげだと思いとどまる。 星刻、彼女は一体貴方の何なの?そう問い詰めたい心を押さえ込んで、 天子は静かに三人と、やってきた藤堂のやり取りに耳を済ませた。

「どうだ、藤堂?」
「ただの少女というには、隙が無い。派手に壇上に登場し、盛大な拍手を受けているというのに、 次の瞬間にはもう空間に溶け込んでいる。回りの客を見る限り、星刻と話していることに気付かれてもいない」
ゼロの問いに映像を見ながら応えると、ゼロはふむと腕を組んで考え込んだ。 どうやらこの少女に見覚え、もしくは心当たりがあるらしく、先ほどからこの少女に関する質問しかしない。
「・・・隙がなく、気配を悟らせない少女。どういった知り合いだ、星刻?」
詰問ではなく、純粋に興味を持った声音でゼロが星刻に聞く。 そのピンポイントをついた質問に、天子はより一層に耳をすませた。 天子と星刻は、こんな気安くはいられない。星刻は天子の傍で、こんな風に気楽には笑ってくれない。 ましてや、星刻は天子に背中を見せることすれ、背中を預けてくれることはないのだから。

数秒、応えるべきかどうか星刻が考えこみ、そして数秒迷ったうちに溜息をついた。
「君たちも、聞いた事はあると思うが―――『姫』だ」
「姫?」
藤堂が訝しげに尋ねるけれど、ゼロとディートハルトは納得がいったのか、ああと感歎の溜息を漏らした。 星刻が肩を竦める。
「『黒薔薇姫』。・・・世界最高の情報屋の名前だ。ありがたいことに、契約を結ばせてもらっている」
その言葉に、今まで口出しはしなかったけれど、興味はあったのだろう、 ずっと沈黙を決め込んでいた扇をはじめとする他の幹部が会話に加わってきた。 困惑した表情で星刻と、映像の中の少女を見る。
「情報屋・・かい?」
「あぁ〜あ、黒薔薇姫ねぇ!知ってるわよぉ」
キセルを揺らしたラクシャータが座りなおす。 愉快そうに笑った彼女を見ている扇たちににやりと笑みを浮かべて、懐かしそうに目を細めた。
「あたしもお世話になったことあるものぉ。この斑鳩を産むために、材料ちょろまかさなきゃいけないでしょお? 足が着かないように最高のものを手に入れたくって、薔薇姫に依頼したのよ。 どこでどうやればいいのが手に入るか、って情報」
「私も、大宦官の情報を手に入れるために彼女と契約をしたんだ。 本来なら数年にわたる内偵で手に入れる情報を、一ヶ月で集めてくれた」
ほんの少し顔をほころばせる星刻を見て、ぎゅうと胸が締め付けられる。 泣きそうになったところで玉城の喚き声が聞こえ、驚きで涙がひいた。
「ああ!?こんなガキが情報屋だっていうのかよ?」
「・・・玉城の言うとおりですよ。こんな女の子が、本当に『世界最高』なんですか?」
不本意ながらも玉城と同意見と相成った朝比奈が、疑惑に満ちた目で少女を見る。美しい少女だ。 白い磁器のような滑らかな肌、黒い髪、桃色の唇、スレンダーだけれども女らしく凹凸のある身体。 何よりその美貌。そんな彼女を見つめたディートハルトが、若干興奮気味に朝比奈に語った。
「もちろんです!『黒薔薇姫』にかかれば、 ブリタニア皇室でまだ書面にも上がっていない機密事項をかぎつけることができるんですよ」
「すごいじゃないか!」
あっけに取られ、しかし明らかに賞賛の混じった瞳と声音で歓声を上げた扇は、 じゃあ騎士団も契約を結んだらいいんじゃないか、と提案を持ちかけた。 けれどその考えも、彼女を褒めちぎったディートハルト本人によって却下される。
「無理ですね。彼女が『黒の騎士団』と契約をしてくれるとは考えづらい。するとしたら、『ゼロ』とでしょう」
「あ?なんでだよ。金積んでくれれば情報くれんじゃねーの?情報屋ってのは」
騎士団をバカにされたと取ったのが、苛立たしげに玉城がディートハルトを見上げる。 それを適当に無視して、ディートハルトは頭の中にある彼女に関する情報を述べていった。

「『黒薔薇姫』は、金銭では動きません。 今まで幾多の大企業や政治家、貴族等が彼女に大金と一緒に契約を持ちかけましたが、悉く断られています」
「え・・・じゃあ、どうやって」
「姫は、恐ろしく聡明な人だそうです。 なので、渡した情報をきちんと活用できる人間にのみしか情報を提供しないそうですよ。 対価は人様々という噂です。・・・といっても、私も実際にお目にかかったことはないのでわかりませんが」
その言葉に、ブリッジに居た面々がラクシャータと星刻を見る。視線を受けて、ラクシャータひらひらと手を振った。
「あたしもお金は払ってないわよぉ。 黒の騎士団でKMF開発してて、母艦を作りたいんだって言ったら、 じゃあついででいいから超高機能グラサン作って欲しいっていわれてぇ」
「・・・超高機能グラサン?」
「そ。スパイキッズとか名探偵コナンとかセーラーマーキュリーのめがねみたいな、 色々機能を兼ね備えた一見普通のグラサンにしか見えないやつ」
「・・・・それだけ?」
「あたしもそれ、思ったんだけどねぇ。億は覚悟してたから。でもそしたらそれだけでいいって言うんだもの。 しかもちゃんとした情報くれるし、後払いでいいって言うし、なんだかねえ」
そのユルさに、全員があっけに取られる。 その中で一つ、『姫にあったかも知れない』という点に復活したディートハルトが食いついた。
「彼女と会ったんですか?」
「んーん。仲介のマオっていう中華人よ、対応したのは」
「・・・星刻は?」
カレンが困惑気味に聞く。いっせいに向けられた視線を受けて、星刻はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「私は直接。仲介もなしに、直接会ってもらっていた」
「・・・一気にあったんじゃないので?」
「いや、こまめにあって情報を貰って、さらに欲しい情報を依頼していたんだ」
「報酬は?」
ゼロの質問に、数秒顎に手を当てて考える。言葉を選びながら口を開いた。
「――私も、金額で払ったことは無いな」
「じゃあなにで?」
「・・・・・・・」
「答えろ、星刻」
扇の質問に口ごもった星刻に、藤堂が剣呑な視線を浴びせる。 何か言いづらいことでもあるのか、というその視線に、 なにやらいらぬ誤解を招いてしまった様で、星刻は慌てて口を開いた。
「・・・・服とか」
「え?」
「・・・駅前に新しできたケーキ屋の苺タルト、中華に直接行くのは面倒だからとチャイナタウンでの食事、 一日ショッピング、今はやっている模様のチャイナドレス、クレープ、プリン、チェスの相手・・・・そんな感じだ」


「・・・結構少女趣味?」
「『世界最高の情報屋』としての沽券に関わるかと思って、言おうか言わまいか迷ったんだが・・・まぁ、」



そんな感じ。  (続きます

2009年3月24日