彼が自分の来場に気付く。そっと背中に寄りかかって、鍵盤に指を添えながら静かに笑みを唇に乗せた。
「・・・L.L.」
「久しぶり、星刻」
挨拶代わりに呼ばれた名に挨拶を返して、ルルーシュは星刻の奏でるメロディにあわせるようにして弾き始めた。
途中で不自然では無い程度に音を止ませて、ポーンと一つAを鳴らす。
仕事の話に入る合図に、星刻は旋律を緩やかに、話に集中しながらでも行えるようなシンプルなものに移行させて、
そっとルルーシュの耳に入る声音で囁いた。
「・・・情報、集めてもらえたか」
「もちろん。何分人数が多いから、もうちょっとかかるかと思ったけど・・・今回はマオにも手伝ってもらったから」
「マオ・・・側近か」
「あの子が集めてくれる情報も超一級品。可愛い可愛い私のだもの」
「では、何時、何処で渡してもらえる?」
少し硬さを含ませた星刻の声音に、くすりと笑ってルルーシュは凭れていた背中を離した。
丁度舞台袖から出てきたサックスプレイヤーにウインクを一つ贈って、
大人っぽいメロディに合わせて楽しそうに曲調を変える。
「・・・L.L.」
少し不満そうな、不機嫌そうな声に変わった星刻に呼ばれて、やれやれとばかりに背中に凭れる。
「・・・後で一曲踊りましょう?クロースホールドなワルツがいいわ」
貴方のスーツの上着にも、ポケットは有るでしょう?と。
暗に聞いてくるルルーシュに、星刻が笑みを浮かべて是と答える。
けれど、ジャズにワルツとは。苦笑を漏らして、星刻は尻目にルルーシュを見た。視線が合う。
ルルーシュもにやりと笑っていた。
「ジャズバーでワルツ・・・か?」
「ワルツじゃなくてもいいけど。クロースホールドなら何でもいいわ」
「わかったよ」
「恋人のふり、してね?」
「ああ」
そうしておけば、少しぐらいくっついていても不自然では無いし、胸元に手を添えても恋人の戯れに見えるだろう。
そんな意図を含ませた彼女への返事に自然と笑い声を漏らして、
星刻は今度のお礼は何にしようかと考えはじめた―――刹那。
「・・・星刻」
何時もとは違う、何処か真剣みを帯びた声に、一瞬固まる。
ひゅう、となぜか喉が鳴って、星刻は尻目でルルーシュを見た。
少し震えている彼女に、どうしたのだろうと不安になる。
ちらりと星刻を見たルルーシュの口は、どこか震えている。
縋るように星刻を見るその瞳は、まるで棄てられることを恐れる幼子のようだった。
「―――私の真名を、教えてあげる。私の手を取る、気が有るのなら」
目を見開き、振り向いた彼に笑って、ルルーシュはそっと髪をかきあげ、
その開いた背に―――朱い鳥を、浮かび上がらせた。その光景に絶句する。先程までなかった、朱い紋様。
しかし瞬きをした次の瞬間には、もうそれは消え去っていた。
「L.、L.・・・・」
「・・・考えて、おいて」
ルルーシュの瞳に、涙が零れそうな熱が篭っていたのは、見間違いじゃあない。
薔薇の口付け、甘く 2
「へぇ・・・じゃあ、結構簡単なもので動いてくれるんだね、彼女」
「『姫』ならば、日に億単位の金を動かすことなど造作もないでしょう。だからこそ、ではないでしょうか」
段々と『彼女』を認め、話に花咲かせていく団員達の様子を、星刻はただぼんやりと見た。
「・・・思ったんだが」
重々しく口を開いた藤堂の声に、朝比奈と千葉が真っ先に黙る。
「彼女は、ブリタニアの皇族などとは契約していないのか?例えば、シュナイゼル」
その言葉に、団員達の雰囲気に剣呑なものが混ざり始める。
馬鹿な、と心の中で嘲笑して、星刻は口を開こうとしたけれど。
「ああ、それはありえません。『黒薔薇姫』はブリタニア嫌いで有名ですから」
先に説明を始めたディートハルトに、開きかけた口を閉じる。一歩下がって壁に寄りかかり、目を伏せた。
「彼女のシンボルは、黒薔薇。さて、ブリタニアの国花は?」
「・・・赤い薔薇?」
「対照的な色でしょう?堂々とブリタニアに反しています。
だからブリタニア側は、彼女を『世界最高の情報屋』としても、『犯罪者』としても追っています。
彼女は犯罪など一つも犯していませんが、
まああちらからしてみれば最重要機密事項を他所にばら撒かれるのは避けたいのでしょう。
適当に罪でも作っているというところでしょうか」
ふーん、と朝比奈が気の抜けた返事をする。
それって何か可哀相ですね、とオペレーターの一人が呟いて、こんなに美人なのにね、ともう一人が囁いた。
そのことでようやくモニターに意識が戻ったのか、ディートハルトがそういえば、と星刻を呼ぶ。
その声に若干疲れながら瞼を押し上げると、いかにも興味深々といった風にディートハルトが目を輝かせていた。
「黎総司令、このバーでの取引では何を報酬に支払ったのですか?」
聞いてきたディートハルトに、視線を向ける。質問が頭に浸透した瞬間、星刻の意識は汚濁に飲み込まれた。
自分が電子世界に居るような錯覚に陥り、L.L.の顔が浮かんでは消える。
「星刻?」
ゼロからの呼びかけでハッと我に返ると、星刻は呆然と答えを口にした。
「―――・・・・・・・返事、を・・・・?・」
「返事?」
訝しげに聞き返してきたディートハルトに、一つこくんと頷く。
―――今のは、なんだった?それを思い返そうとしたら、自然と、一ヶ月前、
彼女―――L.L.と話していた内容が頭の中を駆け巡った。顎を手でなで、思案に暮れる。
(―――・・・返事、か・・・・)
なぜかあの日の後、『考えておいて』という言葉の内容が、どうしても思い出せずに居た。
しかし、天子を救い、中華連邦共々騎士団の仲間入りを果たすことになり、
今まさにディートハルトの口から『今回の報酬』に関係する言葉が出てきたとき、
すんなりと思い出して言葉に出てきたのだ。
ジャズバーの下のフロアで、ルルーシュとダンスをしていたとき。
ぴったりと寄り添ってきたルルーシュに気付き、自分の身体でかばうようにして踊った。
その隙に指の間にチップを挟んだルルーシュが、星刻の胸元に手を滑り込ませ、
スーツの内ポケットにそれを落とし入れた、直後に、彼女は星刻を見上げてこう囁いたのだ。
『―――さっきのは、目的を果たした後に、思い出してくれればいいから』
何を、そう口を開いたら背伸びをして、そうっと唇に口付けられた。
頭に電撃が走ったと思った次の瞬間には、回りはただのダンスフロアに戻っていて。
何が起こったのかわからず、何を忘れたのかもわからず呆然としている星刻に向かって、
唇を離したルルーシュは笑ったのだ。
『ただの気まぐれ。・・・気にしないで?』
(・・・L.L.)
L.L.。世間にはただ『黒薔薇姫』と呼ばせている彼女は、星刻に出会ってそう名乗った。
『初めまして、黎星刻。くろ・・・いえ、L.L.、よ』
『L.L.?』
『変な名前だけれど、気にしないで』
『・・・契約、は』
『結ばせてもらうわ。貴方となら』
『「L.L.」というのは、契約者に名乗る名前か?』
ふと気になって口から出た質問に、L.L.は一瞬息を呑み―――そして、ゆるやかに首を振った。
『・・・いいえ。貴方が初めて』
何でかしら、ね。そう微笑んだ彼女に、酷く惹きつけられたのは記憶に新しい。
実際、どんな人物かと思っていた。案外愚かなのかもしれないと危惧していた。
彼女は堂々と、自身のWEBサイトを持っていたものだから。
どうにかして彼女と接触を持てないかと思って情報収集に励んでいたときに、
パソコンを使っていた香凛が信じられないように星刻を呼んだのだ。
まさかと思い、冗談半分で検索してみたらサイトが出てきたのだと。
信じられるかと一度は一蹴したけれど、まさかと思って見回ってみた。
そうすれば、『依頼フォーム』とやらが出てきて。
やはりまさかとは思いつつも、自身のフルネームだけを入力して送信するだけの、それを、やってみて。
―――二週間後には、星刻のベッドの上に、黒薔薇の印刷された手紙が一枚、落ちていた。
書かれている通りの日時と場所に、一人でやってきた星刻を出迎えたのは、
長身ではあろうに猫背で膝をかかえていた一人の男で。
しばらくじっと見つめられた後に、にこりと笑って星刻の手をひいたのだ。
『おまえは合格だよ、黎星刻!お姫様に会わせてあげる!』
そうして出会った彼女は、可愛くもあり、愛らしく―――何より、美しかった。
今まで見たことのないような、傾国の美貌に見惚れ、
マオとかいう先ほどの男に脇を突かれるまで放心していたほどだった。
『普通はえる、顔見せないんだよ。僕が判断するから。でもおまえは特別。
静かだし、まっすぐだし、誠実だね。えるに危険を及ぼさないよ』
その言葉に、どうやら認めてもらえたようだと気付き、頭を下げた星刻にL.L.はおかしそうに笑った。
その日から、月に一度、二度の頻度で会い、情報を貰い、
その都度L.L.のショッピングやらお茶やらに付き合わされた。
―――その都度、惹かれていった。
だから、彼女の真名を知るというのはなんとも魅力的で。
まるで引力の方向が彼女にあるように惹かれているのを自覚しているだけに、
彼女の申し出に揺らぎそうになるのを、止められずに居た。
―――彼女の手を、代わりに取ることになろうとも。