九月、アリス学園が最大の危機を迎えた時期から、約三ヶ月。自らの身柄と引き換えに学園に平和を取り戻し、クリスマスを目前に控えた、佐倉蜜柑の日常。



僕らは同じ空の下、太陽の許、命の環を紡ぎ、一片の嘘もなく



空気が澄んだ、晴れた朝

元からどんな些細な事でも自分の事の様に喜べる蜜柑だったけれど、今の彼女の幸せは本当にささやかだ。『本人が要求すればささやかなる精神的癒しに関しては 提供する努力を義務づける』、そして『佐倉蜜柑は未成年者につき 近親者を全て排除した孤独な環境かに置く事を禁じる』、この二つの確約のおかげで、彼女の部屋の内装は寮に住んでいた時の部屋と何ら変わりはない。閉鎖的な空間故、彼女にとって充分過ぎる程柔かで暖かな布団は彼女を安眠には至らせないけれど、それでも周りと見渡せば明るい壁紙に優しい絨毯、角の丸い家具に南側の窓。何処まで自分の要求が通るのか分からなかった蜜柑の代わりに、内装に注文をこれでもかとつけたのは親友の蛍だ。蛍が部屋を見に来る等不可能だけれど、家具や部屋の色合いを、口頭で志貴づてに初校長に要求したのである。だからこそ蜜柑はこの部屋に不満は無いし、朝起きて憂鬱な気分になる事も無い。外出が一切禁止されている事を覗けば、不自由も不満も生まれぬ部屋だ。
そんな十二月十四日、今日も蜜柑は眠い目をこすりながら起きて、顔を洗い制服に着替え、髪を結って朝食を運んでくるベアを待つ。唯一許されている『外出先』であるバルコニーに出て、すっと息を吸った。冬なのに日差しは明るくて、けれど夏とは打って変わって角が丸い。凍てつく寒さであるのに、降りそそぐ陽光はまるで厚手のタオルの様。寒くはあるのにその所為か空気は澄んでいて、息をする度、体中が澄んでいく様な、そんな空気を吸い込んでいる気がする。
そんな快晴の中、両親、祖父、そして皆の事を想う。
今の蜜柑は、こんなささやかな事で心を幸せに染められる。

12月14日


あたたかいココア

生まれてすぐの頃より、冬になれば白銀一色に染まる雪深い京都のはずれで育ったからなのか。蜜柑は冬に、朝は暖かい飲み物しか受けつけない。京都では祖父が毎日手ずから緑茶、ほうじ茶、玄米茶と様々なお茶をほんのり暖かく煎れてくれていたけれど、中等部の花姫殿でしかそのような物がお目にかかれるとは、この限りなく洋風なアリス学園では思えない。けれど洋風も大好きで、そして年齢そのままに甘い物が大好きな蜜柑には、ほんのちょっとメープルシロップの混ぜ込まれたホットミルクも、クリームの乗ったホットココアも大好きだ。ベアは適温の飲み物と熱々の朝食をもってきて、まず蜜柑が飲み終わるのを待つ。その頃には朝食もきちんとほんのり暖かく、蜜柑にとっての適温だ。こんな気配りをできるベアが、蜜柑は愛しい。彼に殴られ蹴られ引っ叩かれ、鼻血を出すのは日常茶飯事だけれども、彼が自分を思っての事だと蜜柑はちゃんと分かっている。蜜柑はいつも、ベアとの喧嘩を終えたあと、すっと胸のつかえが降りる感覚を味わっている。そして夜になれば悪夢にうなされ泣く自分を、ベアはそのぬいぐるみ特有の軟らかい体でそっと撫ぜてくれるのだ。
「ベア、おはよう!」
朝一番に、そう元気よく笑いかければ、ベアの雰囲気が安堵した様にほんの少し軟らかくなるのを、蜜柑は、ちゃんと知っている。

12月15日


思いがけないプレゼント

髪に触れる手がくすぐったい。優しく優しく髪を梳くその手には、真新しいリボンが握られている。志貴がプレゼントしてくれたものだ。
「良く似合うよ、蜜柑」
終わって鏡を見れば、ちょっと大人っぽい自分がいた。
「ありがとう、志貴さん!」
そういって抱きつけば、そっと額にキスしてくれる。
「とても可愛い。・・・柚香そっくりだ」
今の自分には、何よりも嬉しい褒め言葉だ。

12月16日


肩に掛けられた大きなコート

高校長。大好きな大好きなお父さんの兄。自分に残された、唯一血のつながった伯父。蜜柑の血筋をその身でもって証明できるのは、この世界ではもはや彼だけだ。自分の父が慕い、尊敬し、敬愛し、そして愛した、自分にとっても愛すべき人だ。顔もそっくりな一巳の存在は、蜜柑に自分の存在の強さを教えてくれる。蜜柑に家族のぬくもりを与えてくれる。何より彼も、見た目に反して高齢であるが故に、両親を老衰で亡くしているらしいと聞く。彼にとっても、蜜柑が彼に残された唯一の世界なのだ。自分が何よりも愛した弟の、愛娘。だからこそ彼の蜜柑を見る目はひどく愛しい。抱き締められれば泣き出してしまう程に。そしてその涙を見て、泣かせてしまったかと慌てる伯父を、そっと頬を包んでなだめるのだ。
「おじさん」
嬉しいだけやよ。うち幸せ。大丈夫やよ。そんな想いを込めて微笑めば、彼は安心て破顔してくれる。そしてもう一度、ぎゅっと、離さぬ様に、逃さぬように、抱き締めてくれるのだ。其のぬくもりが優しくて嬉しくて、かすかに香るコロンが時空越しに出会った父を思い起こさせて、蜜柑はまた涙をこぼすのだ。小さい手を、短い腕を、精一杯伸ばして腹に抱きつくのだ。もっともっと近づきたくて、首に手を回して抱きつくのだ。そうすれば父の髪質すら感じる事ができる。
「うちが、お父さん似やったら、きっと伯父さんみたいなキレーな色に、やあらかい髪やってんなぁ」
別に彼を通して、父を見ているわけではない。それを彼も知っている。だからこそ、
「おや、柚香では不満か、蜜柑?」
なんて言ってからかうのだ。その度に蜜柑は、
「ちゃーいーまーすーっ」
と言って頬を膨らますのだ。そして一巳は微笑んで、蜜柑の額にキスを落とす。そして蜜柑の毛先を掬って軟らかく撫で付けるのだ。
「わかっているさ。ほら、君の毛先は、泉水似だろう?」
そう言われて視線を落とせば、母の写真を思い出しても、母の姿を思い返しても、彼女の毛先に柔らかな所等なかったように思う。探すようにみつめれば、伯父の髪は柔らかく波打っていて。
「・・・ほんまや。ウチは、お父さんとお母さんの、両方の良いとこ、貰うとるねや」
嬉しくて笑って、そして伯父も嬉しそうに笑うのだ。そして寒さに震えた小さな肩を見て、椅子の背にかけていた上着をそっとかけてくれる。彼にはジャケット程度のそれも、蜜柑には膝まで覆うコートだ。
「きちんと上着を羽織りなさい。カーディガンを取ってくるから、それまでこれを着ているといい。君には少し重いかもしれないが・・・」
その気遣いに、ふるふると必死に首を振る。そうか、と笑って蜜柑の頭に手を置くのだ。なぁ、おじさん。ウチ、将来自由になったら、じーちゃんとこ帰りたいけど、でもおじさんとも暮らしたい。過去への旅で、蜜柑は泉水が感じていた、一巳の孤独への淋しさに対する心配をしっかり感じ取っている。なぁ、もし、もしもやけど、うちが将来、アリス学園に、せんせーとしてでもなんででも、残っていたら。今度はうちが一生一生伯父さんの傍で家族として暮らすから、そしたらもうおじさんは淋しくないやんな?お父さんも安心する?おじさんのアリスを考えたら、どっちが先に老衰で逝くかわからないけれど、けれどきっとうちは、老衰と寿命以外の方法では死なへん。病気も事故も殺人も、なんだってよけて、一生健康で傍におるよ。
だってこんな暖かいコートをもつ人を、独りになんてしたくない。

12月17日


近所の可愛いあの小犬

朝、ぽかぽかの陽気に包まれて、揺れるカーテンからの風に撫でられて、朝食の良い匂いが意識を浮上させて、そして大きな手が蜜柑を起こす。うっすら目を開けると、泉水が優しく微笑んでいるのだ。「おはよう、蜜柑。良く眠れたか?」どうしようもなく甘えたくて、朝から思わず首にだきついて。「おわっ」なんていいながらしっかり抱きとめてくれるその腕に、お父さん。おとうさん。おとーさん。「うん?どうした、蜜柑」ううん。なんでもないねん。光を反射してきらきら光るお父さんの髪が眩しいだけ。ね、それよりも、おかーさんのご飯たべようよ。「そーだな!柚香の朝飯はサイコーだもんな!」今日は伯父さん、来てるの?そう大好きな人の名前を言えば、ぱぁっとお父さんの顔が輝く!「一兄!?来てるよ!来てる来てる!もー一兄も遠慮なんかしないで毎日くりゃあ良いのに!どーせ隣に住んでんだからさ!お前もそー思うよなー蜜柑?」うん、そう思う。やって伯父さん大好きやもん。それで、志ーくんも来てる?「え?・・・あー・・・あー、・・・うん、あいつなぁ・・・きてるよ・・・めっちゃ来てるよ・・・」お父さんいや?「えー・・いやー・・・・・いや?っちゃーいや、けど・・・う、ん・・・」うちもおかーさんも、志ーくんすきやよ?「・・・うん、知ってるよ・・・だから強引に追い返せねーんだよなぁ・・・」お父さんが何かをつぶやくけれど、うまく聴き取れない。首にだきついてはこんで、とおねだりすれば、「しゃーねぇなあ」と言いながらも嬉しそうにだっこしてくれる。ダイニングへ続くドアを次々に開けながら、ふたりでたくさんの話をする。なぁ、あんな、もーすぐ夏休みやで!!「おー、がきんちょにはいっちゃん楽しい時だよな!」うち、宿題もってずうっとじーちゃんとこおるねん!「おー、いろいろ。じーちゃんに構ってもらえー」じーちゃん、今なにしとるやろ?毎日夏野菜の面倒みとるで。今の時期はな、キュウリにナスにトマトに、ピーマンにトウモロコシにニラにカボチャとかがとれるねん。「えっ、かぼちゃって夏なのっ」うん、せやからハロウィンのかぼちゃはあんまり美味しくないやろ。「そーいやそーかも・・・へぇー蜜柑は色んな事しってんなあ」じーちゃんと一緒に収穫するもん。そんでその野菜でご飯つくるねん。天ぷらとか美味しいよ。「うわっよだれでてきた・・・ゆーかー。かーずにーぃ。うちのお姫様を連れてきたどーい」「あ、おはよう蜜柑。なぁに?お父さんにだっこしてもらってんの?あんたもう十一じゃないの」いいの。おとうさんがいいってゆったもん。「もー。お父さんもあんまり甘やかさないでよね」「えーいーだろ別にー。きゃーわいーいみかーん」あ、伯父さんおはよう!「おはよう、蜜柑」「え、蜜柑お父さんスルー?ちょっと・・・」「はいはい、席ついてよ」「柚香、コーヒーはいったよ」「あ、志貴ありがとー」志ーくんおはよう!「おはよう、蜜柑」「はーい、席ついて。朝ご飯たべましょ」いただきます!
「蜜柑、もう時間じゃないか?」「・・・さすが・・・一兄高等部校長・・・学校の時間には厳しくていらっしゃる・・・」「泉水、貴方ももう出勤時間でしょーに。いーの?一年B組担任」「おわっ!」おとーさんはよしてー。うち、おとうさんが遅刻する担任なんて、いややで?「うっ・・・じゅんびしてきまーす・・・」「お義兄さんも、志貴も。中高校長がそろって何ゆっくりしてるんですか。さっさと準備してくださいよ」「「・・・・」」
ほな、いってきます!「「「「いってらっしゃい」」」」がちゃり、とドアを開けて。
「おはよう、蜜柑」「おはよう、佐倉」「蜜柑ちゃん、おはよう!」「・・・・・・」
みんな、おはよう!!

そして目が覚める。
こんな時はいつだって、ベアの両腕がべっしょりと濡れている。

12月18日


やっと買えたCD

自分はどんな生活を望んでいたんだろう。
蛍を追って東京まで来たとき、自分は東京の近代的な都市に、人の多さに辟易して、それでも自分と同年代の女の子たちには思わず目がいった。
この服かわいー、ねぇあの人かっこよくない?えーねぇアタシメイク崩れてないー?へーきへーき!レオのCDやっと買えたの、もうチョー大変だったぁ。レオいいよねー!ねーいいよねー!
こんな会話を羨ましいと思ったかどうかはもう覚えていないけれど、でもあのとき自分はひたすらに、蛍と過ごしていた何気ない幸せな日々を取り戻したくて東京に来た。今は蛍を含め、大切な人たちみんなとの、ささやかな幸せだけを望んでいたのに。今が幸せでないとは口が裂けても言えない。し、思わない。
けれど本当にちっちゃな幸せでよかったのだ。それこそ東京の街できいたような、ねぇこの服かわいくない?それよりさーこのCDめちゃいいからーとか、そんな些細な事で幸せになれる日常が欲しかった。
「でもな、ベア。ウチ、後悔だけは人生ずっとした事無いねん。うちはいつもその時その時、せーいっぱいしているつもり」
うそ。本当は、あの日。お母さんと知らずにお母さんを傷つけた。あの日の自分の言葉だけは忘れられない。お母さんはどんな気持ちでウチの言葉を聞いてたんやろう。
「お母さん、ごめんな・・・」
お母さん、ウチのこと許したって。なぁ、お父さんにも仰山ごめんなさい言うから。

12月19日


大好きなケーキ屋さんのケーキ

「セントラルタウンのな、ホワロン売ってるケーキ屋のシフォンケーキが、もうめっっっっっっちゃ美味しかって!味がこれにそっくり!」
そう昨日、ふと零しただけだったのに、今日のお茶にそれが出て来た。なんだか申し訳無い気持ちになってフォークをつけられないでいたら、両側からケーキの切れ端が差し出される。二人の顔を見れば柔らかくて、何も気負う事等無いのだと、ただ君を喜ばせたいだけなんだと語りかける。結局両方から欲張りにも頬張って、そして幸せに顔をほころばせるのだ。
三人で囲むお茶は本当に大好き。伯父さんはお父さんみたい。志貴さんはお母さんみたい。いとおしそうに、いとおしそうに、二人が、二人の話をするたび。きっとお父さんとお母さんは、ウチをこんな風に愛してくれたんや。そう、思う。

12月20日


お気に入りの雨傘

雨があるおかげで野菜は育つ。周りが畑だらけだった京都で育った蜜柑はきちんと雨のありがたみを知っているけれど、それでもやっぱり晴れの日が好きだ。
そんな蜜柑に、一巳と志貴がもってきてくれた一本の傘。一巳がセントラルタウンで購入したらしい、その傘は、外側はポップで可愛らしいのに、中を開けると青空が描いてあるのだ。可愛くて素敵で楽しくて、そして志貴が「柚香もこの傘を使っていた」と付け加えただけで、蜜柑はその傘が大好きになった。ただでさえ晴れの日の少ない冬の雨は、どんよりと世界を暗くするから。そして、なんでもこの傘は、B組の皆が選んでくれたらしいのだ。
皆が選び、一巳が購入し、そして志貴が贈った言葉、これだけでこの傘は蜜柑のお気に入りになった。たとえ使う事が無くても、雨の日にただ傘を開いて中を眺める。それだけで、晴れの日に変わる。

12月21日


綺麗な夕焼けのコントラスト

「きれい・・・」
お茶の時間を終えた蜜柑には、基本的にすることが無い。普段皆が授業を受けている時間帯は、蜜柑も同じ様に同じ科目を勉強しているけれど、それさえ終わってしまえば蜜柑には長過ぎる自由時間だ。この部屋にはテレビが一応あるけれど、情報規制の為に蜜柑が楽しめるような番組は少ない。そして元々テレビを見るよりも外で自由に遊び回ったりする方が好きな蜜柑にとって、同じ場所に座ったままひたすら画面を見つめるという時間は苦痛でもあった。
だから蜜柑は、この時間バルコニーにテーブルを出してベアと二人お茶をしている事が多い。どうせ結界が張られていて外からは見えないのだ、蜜柑がどれだけ外の風を満喫した所で、初校長が不満に思う事は無いだろう。
今日の夕焼けはとても綺麗だ。すこし灰色かかった青空が、少しずつ少しずつオレンジ色に染まって、そしてその色がどんどん濃くなっていく。いつしかそれが濃紺に変わって、紫に。
「きれいや・・・」
まるで虹みたい。
これを見てると、明日はくるんだって信じられる。だから、全然怖くない。

12月22日


流れ星に願いを

明日はついにクリスマス・イブだ。じーちゃんと暮らしていた時はどちらかというと今日の方が大イベントやったな、そんな事を思いながら、蜜柑は寝る前にベッドの上で皆の写真を腕に抱いた。京都での思い出は、蛍も一緒に体験している。子どもにしてみればクリスマスの方がよっぽど楽しみなのに、祖父は天皇に『御誕生日御目出度う御座います』を繰り返していた。蜜柑も一緒になって東京の皇居のある方向にむかって延々と土下座をさせられたものだ。
「去年のクリスマスパーティーは、楽しかったなぁ・・・」
アリス学園に入ってはじめてのクリスマスパーティーだった。ワクワクも、ドキドキも、寂しい思いも、怖い思いも。あのパーティーには、全てがあった。
「明日の夜は、晴れますように」
そして皆が、楽しめますように。
額縁にそっと口づけをして、蜜柑は今晩も眠りについた。
ねぇみんな、皆。みんな、大好き。

12月23日



正直もう、蜜柑には高校長と志貴さんだけでいい(個人的に)

2011年5月28日