部屋で英語の勉強に没頭していた俺は、小さなノック音に気付かなかった。 数回目の強いノックでようやく気付くと、慌ててドアに向かった。 それが誰の音かは、聞かなくても解っていたから。 立て付けの悪いドアがキィと音を立てて開くと、外に立っているのは幼馴染み。 研究室に閉じ込められていたはずのリナリーが、そこにたっていた。

「・・・リナリー」
「ごめんね、神田。ごめんなさい」

うっすらと目に水の膜を張っている彼女は今にも泣きそうだった。 唇がわなわなと震えている。 またなにかあったのだと思うと、居た堪れない気持ちになった。 未だ外につったったままの彼女の手を引っ張ってやる。 それに背中を押されたように、リナリーはするりと部屋に入ってきた。

久しぶりに触れた彼女の腕は、折れてしまいそうに細い。

胸に顔を埋めるリナリーの髪を、いつものように掬っては落とした。 頭一つ分低い彼女と一緒にベッドに座ると、一層に抱擁を強めてくる。 少し震えている彼女の頭を抱きこんで、頭を撫でた。 落ち着くまで、何度も。何度も。

「きょう、ね」
「ああ」
「きょうだけ、外でてもいいって」
「うん」
「でも、そとにはでちゃいけないよってね、ちょうかんさんがいうの・・・」
「・・・ああ・・・」

先よりも強く抱きしめると、安心したのか少し泣き出した。 小さく小さく搾り出された彼女の声は今にも消えそうで、恐怖にばかり支配されていた。 あの長官の気味悪さは、神田自身も知っている。 エクソシストを、千年伯爵やアクマを倒すための駒だとしか思っていないような男。 リナリーを何度も何度も追い詰めて、そのたびに彼女を監禁していた男。 外出をするたびに逃亡を図ろうとする彼女の相手は、決まってこの長官が勤めていた。 体の奥深くから恐怖を喚起させるように彼女の心にトラウマを擦り付けていく長官の嫌らしさは、 神田も一時期だけ感じたことがある。 家族はいない。 故郷も、捨てた。 だから教団は住む場所ぐらいにしか考えていない。 彼女のように、未だ生きている兄と故郷を求めて泣く涙も心も、とうの昔に尽きた。

「だから」
「・・・」
「だからね」
「ああ」
「わた、わたし」
「・・・・」
「神田のところなら、おそとじゃないなぁ、て・・」
「うん」
「神田しか、いな・・いない、か、らっ・・・ッひ、」

声に嗚咽が混じり始めると、彼女は余計に体を寄せてきた。 心も体も、痛くて痛くてたまらない。 彼女にとって今、この教団内では神田しか頼る人がいないのだ。 周りの大人は皆冷たくて残酷で、子どもを畏怖の目でみつめるから。 変な力を生まれついて持っている子どもを、まるで別の生き物のようにみつめるから。

この教団に成人していない団員は神田とリナリーだけだった。

成人どころか、二人はまだ十歳にもなっていない。 神田は八歳。 リナリーは、六歳になった。 二人が教団につれて来られてからはや三年。 助けを求めるのも、温もりを求めるのも、お互いしかいない。 一日に一回は強制的にイノセンスを発動させられ、調べられて。 子どもだから安心できないと、精神鑑定もおこなわれる。 体で寂しいと訴える彼女の行動は、研究員達からすれば気が触れた様に見えるらしい。 ただ、寂しいだけなのに。 悲しくて悲しくて、ホームを求めているだけなのに。

「リナリー」

殊更優しい声で呼びかける。 自分より二つも幼い彼女の世界を守らなければならなかった。 今はたった二人しかいない彼女の世界を。

「傍に、いる」
「かん、だ・・・?」
「泣くなよ」
「・・ぅん・・」
「笑って」
「・・わらうの・・・・?」
「皆知らないだけだ」

知ろうとしないから、わからないんだ。 リナリーはホントは笑えることも、照れたり、怒ったりすることもあるって事を知らないんだ。

「お前は、優しいから」
「うん」
「きっとわかる日がくる」
「うん」

そう、きっと。

「ホームが見つかるときがくるから」
「うん・・・」
「それまで、傍にいてやる」
「・・・本当・・・?」
「本当」

いつかこの二人だけの世界が、何人にも増えるから。 それまではずっと二人きり、傍にいるから怖くない。

「お前は優しいんだよ、リナリー」

前髪を掬って、額に唇を押し当てた。 優しい彼女の救いとなりますように。 カミサマなんてものは信じていないけれど、 けれど自分たちは神の子だから。


隠れていた太陽が、雲間から少しだけのぞいた気がした。



小さな小さなプロポーズ



「リナリー」
「うん?」
「リナリーは告白されたことありますか」

スポポーン。
目が飛び出た。

「え、なに急に・・・」
「いやー僕思ったんですよね」

リナリーはアレンを見た。 否、アレンがいるところをみた。 自分の目の前には食べ物の城が出来上がっていて、声の主はその向うから聞こえるから。 ティムキャンピーもアレンと一緒にドカ食いをしている。 この金色のちっさいゴーレムの胃袋は一体全体どうなっているのだろう? いやそもそも、ゴーレムに食べるなんて機能があっていいのか。 可愛らしい顔?からのぞく凶暴な牙がはっきりいって怖い。ちょうこわい。

「リナリーって美人じゃないですか。やっぱり団員の方から告白とかされたことあるんですか」

沈黙。
十五秒と半分。(ラビ計測)

五メートル上まで積もっていたはずの食の城はだいぶへっていた。 どんな胃袋かはわからないが、今のリナリーはアレンの顔がきちんとみえる。 アレンいわく、『十秒あれば十分です』。 ティムと一緒に目がきらんとひかった気がした。 自慢になるのかもわからないが。

アレンの横ではラビがアレンお前爆弾発言さーなどといっている。 が、自分も興味があるようでどうなんさ?とずいっと寄せて聞いてきた。 リナリーは困ったように笑うと、さらりと答える。

「ないわよ」
「ええっリナリー隠す必要ないさ?」
「な、ないって!」
「じゃあ質問変えます。教団内で一番付き合いが長い人は??」

女性を問い詰めるのは紳士らしくない、と判断したのか。 アレンはささっと質問を差し替えると、まるでレポーターのように拳でマイクを作ってリナリーに差し出した。 それをみてまた笑うと、今度の質問もさらりと答える。

「付き合いが長い人?神田ね」
「・・・・・・・・・・・・・・へ」
「初めて会ったのが三歳だから、もう十三年ぐらいかしら。ねぇ?」
「・・・・そんぐらい、だな」

リナリーの隣にすわって黙々と蕎麦(今日はとろろ)をすすっていた神田が頷いた。 アレンは意外だったようで動かない。 自分の天敵である神田が? ちょっといいなと思っている女性とそんなに親密だったなんて。 一方ラビは、一番付き合いが長いとは知っていたものの、告げられた年月にはびっくりした。 せいぜい7、8年程度だと思っていたのだ。

「二人とも、かなり年季はいってるさー」
「・・・そこまで仲いいようには見えないんですけど・・・」
「そんだけ毎日一緒にいたら話すこともなくなるっつの」
「・・・・らしいさ」
「ふぅん・・・幼馴染ってそんなものですか」

納得したようなしないような。 少し複雑な心境だが、まあいいじゃねーのな気分で二人は黙る。 だがしかし、『今度初恋の相手も聞いてみよう』、と二人の好奇心はひそかに誓った。


「うふふ」
「・・・なんだよ」
「ううん、別に」

こそこそと話しているアレンとラビを見ながら漏れた笑いを、神田は聞き逃さなかったらしい。 訝しげな声で聞いてくる神田をさらりとかわすと、再び蕎麦をすすり始めた神田を見た。 横の髪が垂れないようにと後ろで髪を縛っているから、横顔が見やすい。 端正な顔をみつめて少し赤くなった顔を隠すように視線をはずすと、 冷えた手で冷やすように頬を包んだ。

(私の初恋も片思いの相手も神田だってこと、二人ともしらないだろうなぁ)

神田の初恋も片思いの相手もリナリーだってことを、彼女はしらない。









神リナ祭で書かせてもらった神リナ。
138夜の公式幼馴染には、萌えた、ぜ・・・・・!