アメストリス・セントラル音楽院に通う、盲目のエドワード・エルリックちゃん十九歳と、軍人のジャン・ハボック少尉二十五歳の恋物語。
時代設定や世界観は原作通り、ただホムンクルスやエルリック兄弟の過去は総無視。
女体化、ハボエド、原作沿いパロディ。この三つが大丈夫な方はどうぞ。



Because



騒がしいのもいいが、こういう雰囲気も悪くない。

ハボックは今、「ミス・ティファニー」というジャズバーで酒を飲んでいた。マスターの亡き奥方の名前からとったらしいその店は、所謂歓楽街の一角にある店で、けれど激しいネオンばかりが目をさす他の店とちがって至ってシンプルで趣味が良かった。
ハボックがこの店に足を踏み入れたのは今日が初めてだ。セントラル勤務になり、初めての定時上がりだった。まだ日の光が僅かに街を照らしている時間に帰る等久しぶりの事で、ハボックは意気揚々と歩いていたのだ。そんな彼に後ろから声をかけたのは、かつてハボックとブレダとともに士官学校を生き抜いた同期、キースだった。三年前に軍を引退して以来、親戚のつてで貿易事業の事務会計を手伝っているのだという。今は嫁をもらい、子供もいる。一頻り昔話に花を咲かせ、飲みに行こうと言う話になった。このキースという男は未成年の頃から酒にだけは詳しくて、ハボックもブレダもキースのおかげで未成年ながら酒の味をしめたものだ。良い所を知っているから、というキースの誘いに、まぁ明日は休日だしと頷くと、キースはまずハボックを夕食に誘いだした。歩いて五分程の場所にあった彼の自宅に招かれ、彼の妻の手料理を食べ、夜も更けてから街に繰り出した。
アンティーク調の品の良い扉を開けて中に入ると、そこはいい具合に証明の落とされたバーだった。カウンターでは初老のマスターがグラスを磨いており、バーテンダーが客にカクテルを作っていた。二人ばかりの黒服が軽食を運んでいるようだった。しかしかかっている音楽は、正確にはジャズではなかった。
「ここはジャズバーって銘打っているだけでさ、実際にはアコースティック主体のイージーリスニングを聞かせる店だよ。要はゆっくりしてけっていう所」
そういうキースに朗らかに笑ったマスターはハボックにドリンクを一つサービスし、二人はソファー席にゆったりと座って近況を話し合っていた。しかししばらくたって彼の妻から電話がマスターの所に入り、彼は店を出る事を余儀なくされた。二歳になる1人息子が発熱したという。こっちが誘ったのにゴメンと繰り返すキースの背中を押してやり、ハボックは体を深くソファに鎮めた。グラスの中はからっぽだ。傍を通った黒服にレディーキラーを頼むと、ハボックは煙草を一つふかした。そして冒頭に戻る。

普段はおばちゃんがいる様な酒屋でどんちゃん騒ぎをしながら飲んでいるが、たまにはこういう静かなのも悪くない。元々ハボックは東部の田舎育ちだ、むしろ静かで穏やかな時間というのは性に合っているかもしれない。

暫くすると店内の照明がさらに落とされ、逆に中央に一段高くなっている低めのステージに淡い光が指した。グランドピアノが一台置かれており、傍のマイクには赤い薔薇がそっと巻かれている。少しして後ろのカーテンから現れた少女に、ハボックは息をのんだ。体のシルエットを隠さないけれど、ゆったりとした布のドレスをまとった美少女。黒いそれを身にまとった彼女はその金色の髪をひとまとめに後ろに流し、マイクの薔薇をするりととると髪飾りとばかりに結び目に差し込む。指先は終始ピアノに触れたままだ。
紹介も、礼も、一切ない。恐らく店の方針だろう。興味があれば見れるようにはなっているが、あくまでBGMとしての扱いらしく、わざわざ客の目を引く程、証明は眩しくない。
その証明に照らされて透ける様な肌が眩しい。ぷっくりとしている唇は数度小さく息を吸い、吐き、ゆっくりとその細い指を鍵盤に置き。弾いた。

なんの変哲もない、普通のナンバーだ。客に呆れられる程のメジャーではないけれど、でも一度くらいはラジオで耳に挟んだ事のあるような、そんな曲。
けれどハボックはそれに惹かれたし、またそれを弾いている彼女にも。一曲終わり、マスターがマイクを傾けてピアノの前に座る彼女に口元に近づける。そして手伝いの黒服に合図を送ると、店内は全体として深い海の様な青色に染まった。単調な、けれど何処か幻想的なベースライン。彼女は左手を見ていない。彼女の小さい小さい息づかいがマイクを通して聴こえる。彼女が唇を形作るのと、右手が鍵盤に置かれたのは同時だった。


そしてハボックの意識は、次第に音に埋もれていった。



Inspired by:「Because」Yoko Kanno × Aoi Teshima

2011年7月11日