寒くて、ちょっと寂しい。でも、お前がいるから



冬にやりたい九つの事



1 吐く息の白い冬のあさ、恋人に飲みものを淹れてあげる事

 とても静かに木兎は目覚めた。

 吐く息が、やけに熱い。身体にかかるわずかな重みに顔を向けて、ちいさく、笑った。
「くろおー…」
 小さく小さく、呼びかける。ささやいた声は届かないようで、木兎の肩口に顔を突っ込んで眠る黒尾は、すうすうとかわらない寝息を立てた。普段はあまりくっついて寝てはくれないのに。どうしてだろう。
 木兎は少しだけ首をのばして、頭上の窓を仰いだ。ああ、
「雪か」
 窓に顔を近づけただけで、冷気がひどい。道理で黒尾がくっついてくるわけだ。仕草も性格もどこか猫に通じるところのある恋人は、やっぱり寒さにも弱くて、きっと無意識に木兎にすりよった。
「寒いな〜〜…」
 布団から出ている肩が冷えて、関節がキシリと痛む気がする。木兎はあわてて布団に潜り込むと、再び黒尾を抱えて目を閉じた。鼻先を埋めた黒尾の髪から、自分と同じシャンプーのにおいがする。
 今日は二人とも休みで、本棚を見に行く予定だった。学生をやっていると、なんだかんだで本が増える。勉強机に近い壁沿いに本を積み上げるのにもお互い嫌気がさしてきて、ちょっといい作りのものを見繕ってくるつもりだった。
 ふたりの部屋はちょっといいもので溢れている。ちょっといいソファ、ちょっといいベッド、ちょっといい電子ピアノ、ちょっといいマグカップ。お金がたまるたびに、ふたりでその時ちょっと欲しいいい物を買うのが、ふたり暮らしのアイデアだ。おかげで、同棲三年目のいま、二人の部屋はとても居心地がいいし、ちょっといい物を使っているおかげで、物持ちがいいし、暮らしに優しい。
「くろおくん」
 もう一度、こんどは響かせるように呼んでみたけれど、黒尾はんん、とひとつ唸って木兎を避けた。
「起きよ」
 いろんな事を黒尾のようにはうまくできない木兎が、唯一誇れるのが朝の早さだ。料理も、掃除も、黒尾は木兎よりうまくこなしてしまうけれど、朝の早起きだけは、木兎をいつも頼ってくれる。昨晩黒尾は、早く起こしてくれと木兎に念を推したから、木兎は黒尾に、起きてもらわなければならないのだけれど…冬の朝の静けさにつられて、つい声を潜めてしまうのが、いけないのだろうか。
「くーろーお」
「んん、やだ」
「起きようぜ。すげーきもちいよ」
 寒いけど、という言葉は飲み込んだ。気持ちのいい朝なのは本当だ。冬の朝は、初雪の朝は静かで、穏やかで、そして暖かく過ごせるのだ。
「くろお〜」
「さンむい」
「ココアいれたげるよ。俺が」
「…んー…。…え〜〜?」
「バリスタ木兎、よくない?」
 木兎の提案を、耳聡い黒尾はぴくりと聞きつけた。にやりと笑ってやったのに、目をあけてくれない。面白いとは思ってくれたのか、黒尾は口角をぴくぴくあげた。
「な、おきよ」
「…ココアいれてくれんのー…?」
 フワーア、と木兎の肩口であくびをするものだから、肩が息で熱い。うん、ともう一度頷くと、黒尾はじゃあ、いいよと言って、また目を閉じた。
「こら。起きてくれんじゃねーのかよ」
「んん、ココア」
「わかった。じゃあ、淹れてくっから、起きてよ」
「んん」
「それ、うん?」
「んん」
「はい、おはようのちゅー」
 有無を言わさず顔をつかんで、目は閉じたままによによしている黒尾の唇に自分のをくっつける。とたんに機嫌よさそうにむにむにさせたので、もう一度。うっすらと開いた瞼にももう一度キスを落として、木兎は勢いよく布団をまくった。縮こまって布団を引き寄せる黒尾の髪をまぜっかえして、首筋にもういっかいだけキスをした。




2 ゆびが縮こまって困った朝に、ゆっくりあたためてあげる事

 んん、と唸りながら帰ってきた木兎に、黒尾はゆっくりと鍋をかき回していた手を止めた。
「おかえり」
「うん、ただいま…」
 指を組んで、ぐにぐにと手首ごとまわす木兎の顔はしょっぱい。眉間も口元もむずむずとさせて、ひたすら自分の指を見ている。
「どうした」
「んー、指がかったい。きもちわるい」
「ゆび」
 両手を差し出した黒尾に、木兎はゆっくりと問題の指を重ねた。黒尾の手首にゆっくりとまわして、一周なぞり、骨っぽい手を数回握って、絡めた。
「冷てぇな」
「そう、そーなの、あー、うー」
「回しにくいんか」
「こまる…黒尾の手あったけー」
 そのまま腕をまわして黒尾を抱き込む木兎の背を撫ぜてやる。顔が半べそをかいている感じで、木兎の困り顔にめっぽう弱い黒尾は、どうしても甘やかしたくなってしまう。
 日課のランニングから帰ってきた木兎は、いつもランニングの最中に国立公園でやる基礎練習がうまく行かなかったのだろう。マウスピースだけなので指は使わないのだけれど、指が寒さで縮こまっている、ただそれだけの事で、息のほうも上手く行かなかったに違いない。木兎も黒尾も、指が命だ。黒尾は朝食のスープを作っていたから、指に血が巡って柔らかい。
「すぐにあったまるよ。飯にしようぜ。な」
「うん…」
「手洗ってこいよ。お湯で」
「うん…」
 ちょっと指が固いくらいで、しょんぼりと背を向けてしまう。面倒くさいと思う反面、どうしても可愛い、甘やかしたいという欲がむくむく涌いてしまう。黒尾は一煮立ちした鍋のシチューをボウルによそって、特別に、デザートにチョコレートをつけてやる事を決めた。

 ちょっとあったまった、と機嫌がいくらか向上した木兎にキスをしてやって、二人は食卓についた。さっそくスプーンを手に取る木兎に待ったをかける。
「黒尾?」
 首をかしげる木兎の手からスプーンを取り上げて、彼の両手を包み込む。トランペットで音を自在にあやつる木兎が、こまっているなんて大事件だ。黒尾は木兎の指をそっと抱え直すと、ゆっくりゆっくり息を吐きかけた。
「わぁ」
 木兎の頬がぱっと染まる。ハァー…と何度か息を吐いて、木兎の指がじんじんと赤くそまった頃、黒尾はぱっと手を離した。
「おまじない終わり。食おうぜ」
 ほんのちょっと照れくさくて、黒尾は急かすようにスプーンを手渡した。熱に浮かされたようにぼうっとした木兎の、たまらないと言った風の顔が、近づく。その視線から逃れるようにさっと目を閉じると、黒尾は重なった唇を一瞬だけ食んで、そっと離れた。




3 いっしょに行った買い物で、赤くて震える指を絡めあう事

「あ〜。しまった」
「何が?」
 某、何から何までお客様にお任せの代わりに、ほんの少しお安い家具店の、書棚スペースにて。色はどうしようかと向かいながら話していた末にたどりついたそこで、黒尾は大きくため息をついた。
「サイズ決めてねえ」
「おー。サイズ」
「どこに置くかも決めてねぇな」
「あー。場所」
「お前はどこがいい?」
「ん? んー。どうせリビングのテーブルでやるんだし、リビングでよくね」
「ん」
 もともと勉強机、もとい、リビングにある大きめのテーブルの周りに積み重なっている本をどうにかしようと、はるばる書棚を買いにやってきたのだ。ちょうど側の壁が一面真っ白なのだし、そこにしようと結論がでた。
「色はー、うん、なんか濃い茶色とか、黒とか、濃いのでいい?」
「おう、任せる」
「よし。そんでな、サイズよ。サイズ」
「サイズか」
「どんだけの本を入れるかだよな」
「どんだけあったっけ」
「必修系はカケル2だよな。俺とお前で。俺けっこう教育系の本多い」
「もうさ、一番大きいのでよくね? 絶対本をいれなきゃいけねーんじゃねーし」
 大小さまざまな書棚の間を練り歩きながら、ああでもこうでもないと話し合う。途中ラックに積まれていた薄いカタログを手に取って、黒尾はぱらぱらとめくった。腰に手を回した木兎が、肩に体重をかけて寄りかかる。
「重い」
「我慢して、ハニー」
「そんで、サイズ」
「そこは乗れよぉ〜」
「圧迫感ないのがいい。これとか」
 黒尾が長い指で指し示したやつをみて、木兎は眉を寄せた。低い。大きいし、横に広がっているからスペースは十分にありそうだが、いかんせん低い。黒尾はきっと、部屋の構造とかの事を考えているのだろう。でも、と木兎は黒尾と向き合うと、腰をがっちりつかんで目を合わせた。覗き込むようにして話を始めると、黒尾がちょっと神妙な顔をするのを、木兎は知っている。
「あのな」
「おう」
「俺らの身長考えよ。大抵の本棚は俺らに圧迫感なんて与えないし、本なんてどうせこれからも増えるし、それにこんな低いやつ、俺らどうすんの? 毎回床に膝つくの?」
 言い聞かせるようにゆっくり言えば、黒尾はぱちくりと目を瞬かせた。そして、確かに、と囁きのように漏れた呟きに、木兎はだろ、と返してやった。
「だから、今日、俺たちはこのデカいのを買います。OK?」
「任せたわ、ダーリン」
 ようやくスキンシップを返してくれた黒尾に、木兎は満足そうに笑った。ふん、と鼻を鳴らして。

 ふたりで運べるか、運べないか、それをほんの少しの時間議論して、結局宅配を依頼して二人は帰路についた。スーパーによって、しばらく作り続けるだろう暖かいスープの材料をたくさん買い込む。
「寒いな〜!」
「手袋わすれた」
「黒尾、はやく帰りたい?」
「うん」
「ほい、じゃあ手」
 木兎は両手で持っていた袋を片手にまとめて、黒尾に大きな手を差し出した。元々袋をひとつしか持っていなかった黒尾は、迷う事なく右手を絡める。
「つめって」
「あっためてよボクトクン」
「任せろベイビー」
 絡め合った指を持ち上げた木兎が、黒尾の指にちゅっと口づける。音がしそうな、ウィンクのおまけ付き。
「木兎くん、恥ずかしいんですけど〜〜。病院行った方がよくね?」
「ひどい」
 だんだんと足が軽くなる。次第に小走りで家へ帰って、指は混じり合うほど、暖かかった。



ふたりで幸せぼっくろ夫婦〜〜〜(萌えギレ)

2015年1月26日