こんな日はいつも母を思う。

暑い夏の日だった。俺はまだガキで、母さんが病院で寝込んでるっていうのに、弟と二人楽しくキャッチボールをしてから家に帰るくらいの神経の図太さがあった。姉ちゃんは学校が終わったら毎日病院に行く、その前に家に帰って俺と勇輝の為に何か作って、母さんの洗った着替えを持って病院に行っていた。残業の多かった父さんはいつの間にか定時で帰ってくるようになった。というより、帰る場所が殆ど病院になっていた。
俺と勇輝は家に帰ったら姉ちゃんが作り置いてくれたご飯を食べて、お腹が一杯になってアイスも食べてから病院に行っていた。俺と勇輝は母さんの病気の事なんて殆ど重く受け止めてなかった。体の弱い母さんは昔からことあるごとに入院していて、口癖は「大丈夫よ、いつもの事なんだから」だったから、こんかいも「いつもの事だから大丈夫」だと俺達二人は思っていた。俺は未だにそれが悔しくて悔しくて仕方が無い。父さんと姉ちゃんのバカ、勇輝はまだ小学校低学年だったから分かるけど、俺はもう中学生で、母さんの病気の事とかもっと知りたかった。今ならそれがバカな考えだと思うけど、でも悔しい。俺はもっともっと、母さんを毎日強く想って生きたかった。母さんからしてみればまだ小さい俺達に悲しい顔なんかして欲しくないからとか、そんな事を思っていたんだろうけど、俺はそれでも構わなかった。毎日目を泣き腫らして病院に通って母さんに泣かないでって心配されたかったよ。毎日元気よく病室に入って、いっぱい汗かいたのね楽しかった?なんて笑って言って欲しくなかった。だから日に日に細くなっていく腕に気付かなかったんだ。シニアの試合に来れない母さんを責める事だってしなかったのに。俺は馬鹿だ。最低だ。だから通夜でも葬儀でも泣けなかったんだ。血も涙も無い最低な息子だから、母さんの死にも泣けないんだ。
「そんな事ねえだろ」
明日は朝から部活があるけど、おれは母さんの二回目の命日だから午後から参加する事になっている。夏至だった。学校の関係で練習が七時に終わって、夜が少しずつやってきていた。真っ赤に染まった空を、綺麗綺麗と皆が言う。そんな中で阿部は俺を寄る所があるからといって連れ出してくれた。俺は二人でずっと歩いている。俺達の家の中間くらいにあるでっかい緑地公園をぶらぶらして、練習で疲れてるんだからさっさと帰って風呂入って寝りゃいいのに、阿部は俺の後ろをひたすらついてくる。
「夕日がとっても綺麗ね、もう夜七時を過ぎてるのに、まだまだこんなに明るいのねって言ったんだよ」
そう丁度こんな色だった。二年前の明日、母さんが死ぬ十分前、母さんはこんな夕焼けを見て笑っていた。
「へぇ、良かったじゃん」
「・・・・・は?」
澄んだ瞳で阿部は言う。俺は色んな物が流れ落ちていく気分だった。阿部って、阿部って。
「死ぬ直前まで世界は綺麗な事いってたんだろ、未練があったらもっとあれしたかったとかこれしたかったとか、お前ら兄弟とかにゴメンねとか謝ったりとかすんじゃねぇのか、俺んちはばあちゃんがそんなだったけど、でも皆で見てた夕日を綺麗ねって言ったんだろ、それってなんか、なんつーの、スゲー幸せな死に方じゃねーの」
頬が無性に熱かった。日に焼けたのかな、なんて頭のすみで考えた。
「そりゃお前のお母さんの病気ってすげぇ辛いと思うし、亡くなる事がイイコトなんてそんな事は絶対にねぇけど、でも笑って死ねたんなら幸せだろ、最後の瞬間まで家族一緒にキレーなもん見てさ、お前らオトコ二人は姉ちゃんやオヤジみたいに暗い顔してなくって、それお前のお母さんは凄い嬉しかったんじゃねぇかな、いやわかんねーけど、だからなんつーか、その、なんだろ、その」
そこまで言って、阿部はためらいがちに両手を伸ばした。俺の頬を包んで、親指が優しく何かを拭う。左右でマメの場所が違う、キャッチャーらしいごつごつした手。その手がどんどん湿っていく。俺は。
「・・・だから、泣かないお前が最低なんて事は、無い、と思う」
気付けば俺は阿部にしがみついてわんわん泣いていた。膝が治っていない阿部に俺は縋って、夏の間に重くなった俺の体を支えさせた。泣いた所為で頭ががんがんした、けど阿部はずっと俺に付き合ってくれていた。

次の日、晴れやかな気持で墓の中の母さんに挨拶をした。家族の健康と俺の応援と、阿部の事を、たっぷりたっぷりお願いした。



母さん、大好きだよ。

2011年8月17日