雨の中身



朝にふった雨は結局最後までやまなかった。
雨足は割と弱まったけど、でも小雨という程でもなく。試合後でもあったし雨も続くからといって練習は早めに切り上げられた。このまま変えれば六時半頃には家に帰れる。
「・・・え」
校門を少しでた所に、トレードマークの青いバイクによりかかった慎吾さんが、いた。俺の気配に気づき、やんわりと笑ってくる。慌てて駆け寄れば、そっと頬に手を添えられる。夢じゃ、ない。
「・・・・・なんで・・・・・・?」
「約束したろ、雨の日は・・・忙しくない時には、迎えに行くって」
そういった慎吾さんは、照れたような、悔しそうな、悲しそうな、へんな笑みを浮かべていた。触れてくる手はいつもと変わらず優しくて、甘くて、それだけで俺の事好きだって言ってくれてるのがわかるくらいの甘い手のひらなのに、見つめてくる目はドロドロしている。
「・・・・・・バカでしょ・・・あんた」
ホントバカだよ。そんな約束破ってくれて良かったんだよ。そりゃ覚えてたけど、でも今日は迎えに何て来ないと思ってた。普通に電車つかって後は歩きで帰ろうと思ってたんだ。帰ってくるかはわからないけど、いつも通り夕飯を二人分つくって、帰ってこなかったらラップに包んで冷蔵庫に入れて、ギリギリまで待って今夜は滅多につかわれない、今じゃ自分でも窮屈だと思ってしまうシングルベッドで寝ようと思ってた。どんな顔すればいいかわからなくって。どんな距離の取り方をすればいいのかもわからない。だって。
「・・・・野球の・・・事は、別にしてもね、お前との、野球とは関係ないとこの約束事まで蔑ろにする気は、ないよ」
何でそんな事いうの。最後なんだろ。最後なんだから野球を最優先していいんだよ。俺はそういう彼女なんだよ。俺と付き合う前に付き合ってた、野球を優先すると怒る彼女たちとは違うんだよ。だって同じ野球バカを共有できる野球バカなんだもん俺も。
「だって俺にとってお前は野球と別次元で同じ次元なんだもん」
そんなの俺だって同じだよ。
そう思ったら、頭の中でぐるぐるしてたものが全部はじけた。だってわかっちゃったんだもん。俺も慎吾さんの事すっごい好きだよ。大好きだよ。そんで野球も大好きなんだ。試合の数日前まではお互いが野球との間に優先順位がぐらぐらしてて、昨日と今日は野球が最優先だった。絶対勝ってやる、負かしてやるって。でも終わったら終わったらで想っちゃうよね。それは俺もそうだよ。だって終わった瞬間に、勝って嬉しいって、やばいどうしようって、思ってた。そんで千羽鶴もって河合さんたちとこっちに来たアンタを見て、一気に地獄に突き落とされたよ。ああそっか、もう見れないんだ。もう応援できないんだ。一瞬ごめんって思って、そしてそんな事を思った自分を殴りたくなった。抱き締めてほしかった。抱き締めてほしくなかった。キスしてほしかった。してほしくなかった。俺たちの勝利に一緒に酔ってほしかった。俺たちの勝利を罵って欲しかった。でもそれ以上に、日常からこの人を遠ざけたくない。そう思って。どうやったら嫌われないのか、なんて所まで考えが発展していた。
「だから、ホラ。帰るよ」
ついには何も言えなくなった俺の頭を、ぽんぽんと慎吾さんは撫でた。バカ。やめろ。そんな事されたら泣いちゃうだろ。もうこらえきれない。顔がみえない。
雨をすってぐっしょりと重い、重力に従ってぺたんとまっすぐに垂れ下がっている髪に押し付けるようにして、メットをかぶせられる。こらえきれない嗚咽にびくびくと肩を揺らしていると、パチンと金具を固定される。
「乗って」
「っ、ふ、ぅっ・・・・乗れ、ないぃー・・・」
「ああ、はいはい。ちびっ子だからなァタカヤは」
「チビじゃないもん座席が高いんだ」
「はいはい」
甘やかしたいのか甘えたいのかわからない。ぐいと首に腕を廻すと、雨だけじゃ流しきれない野球の匂いが彼からして、遣る瀬なくて悔しくて悲しくて、口付けた。慎吾さんは一瞬少しこわばったけど、それでも次の瞬間には深く深く吸い付かれた。首と腰に廻された腕が痛い。足はつまさきがようやく地面につくくらいで、雨で滑りそうになるけど、それでも構わなかった。頬に吸い付いてくる水滴が、雨じゃ有り得ないくらい熱かったから。
きっとメットがあたっていたい。泣きながらキスをしていると、そんな事を考えられるくらいには変な熱が鎮まって、俺はゆっくりと慎吾さんの柔らかい蜂蜜色の髪を撫でた。指を曲げればくしゃりと、土と砂と汗が混じったような、ちょっとごわついた感触がする。この感触が好きだった。この感触が風呂の後に消えてふわふわになって、次の日にはまたごわごわになる。そのなんでもない繰り返しの日常が好きだった。
ごめんなんて言えない。言いたくない。だって俺が西浦を本気で思っているのは事実で、そして慎吾さんはそれを充分に解っていて、理解もしていてくれる。でも同時に酷く悔しいんだ。去年の夏は、慎吾さんとこと、俺ンとこと、ゆーとんトコの三家族そろって甲子園まで応援しにいったんだ。桐青の、慎吾さんの夢は、半分俺の夢だった。ずっとずっと応援してた。花井がクジをひいた時、なんでって、どうしてって思ったよ。花井は全然悪くないのに、一瞬花井を恨んだくらいに。
ゆっくりと俺を離した慎吾さんは、頬と目尻と鼻の先にキスを落としてくる。雨の所為で水っけがある所為か、意味も無くちゅうちゅうと音がする。
「・・・帰ろっか。帰るよ、カヤ」
「・・・うん」
そして今度はきちんと俺の脇に手を入れて、まるで試合の疲れなんて残っていないかのように俺をひっぱりあげる。いつもの座り慣れたシートの感触。今は雨で濡れている所為で、座ったとたんスカートが濡れて、中の下着まで濡れたけど。すぐにバイクにまたがった慎吾さんの腰に思いっきり腕を廻して背中に抱きつけば、汗と雨の所為でぺたりと二人の体温がくっつく。どこまでもどこまでくっついてたい。今晩どうすればいいかなんてわからない。いつもみたいに過ごせばいい?気遣えばいい?不遜な方がいい?なんでもするから変わっちゃわないで。野球が好きなままでいて。
慎吾さんがエンジンを吹かしている間に校門を見れば、ゆーとを始めとした部員と雨と試合後の疲れの事を考えて車で迎えにきているお母さんたちがたくさんいた。ゆーと以外は口をあんぐり開けて、俺と慎吾さんを凝視してて。そりゃそうだ、今日の午前中に自分たちが負かした相手と自分とこのマネジが、こんな所で繋がってたなんて誰も思わない。ゆーと、フォローよろしく。そんな気持をこめて手を挙げれば、大丈夫という様に頷かれた。だってカントクとシガポまでいて、万が一にでも情報交換をしていたとか、そんな事思われたくない。だって真剣だったんだよ俺達。恋も野球も真剣なんだ。ごっちゃにするなんて有り得なくて。
「・・・ん、終わった・・・・?」
そっと慎吾さんが聞いてくる。相変わらず観察眼も空気の読み方も知っていて。なんで今そんな事聞くんだよ。そんな気ィ遣わなくていいのに。
「・・・・そんなの聞かなくていいの・・・好きな時に出してくれていんだから・・・」
またじわじわと涙が出てくる。ごまかすように慎吾さんの腹をぽんぽんさすったら、ほんの少し肩が揺れた。
「いくよ」
「うん」
そして雨の中、無言で帰路についた。



ねぇ、今日は何だってできるよ。

2011年7月27日