同棲一週間



6. おはよう……っていないじゃん

薄いカーテン越しの朝日が眩しい。ゴールデンウィークで学校が無いため、練習の集合時間は七時、といつもより体に優しい時間だ。
「カヤーおはよう・・・って、あれ?」
あー良く寝た、と思いながらいつものように寝返りを打つ様にして右手を廻すと、いつもならそこで抱き寄せるはずの体がなく、かすっと腕が空気を切った。
「・・・・タカヤ?」
むくっと起き上がると、タカヤがいた筈のスペースはすっかり布団が冷たくて。のそのそと起き上がり、ぼさぼさな頭をかきながら部屋を出ると、そこにはもう人の気配がなかった。
「いない・・・・」
どこいった?もしかしておれ寝坊した?
そんな事を思いながらダイニングのテーブルを見れば、いつも通りの豪勢なおかずがラップに包まれておいてあり、そばにメモが置いてあった。

〈おはようございます。
今日から合宿なので先に出ます。
お釜にご飯と、お鍋にお味噌汁があって、
おかずは暖めて食べてください。
お昼は何か適当に。夕飯はクリームシチュー作っときました。
サラダもきちんと食べてくださいね。
桐青は今日も練習でしょう?
面倒だからってまた食事を抜かないように。

行ってきます。
タカヤ〉

「あー、そういや今日から合宿だっけ」
どーりでなんか変な感じだよ。
メモを手に取ってまじまじと眺める。
「・・・・・て、オレ、二年一人暮らししてんじゃん・・・・・」
朝っぱらから顔が熱くなって、顔でも洗おう、そう思いながら踵を返す。一緒に暮らし始めてからまだ一ヶ月程しかたってないのに、それでももうこんなに存在が恋しいのだ。二年以上の一人暮らしがいかに色あせた記憶となってたのかまじまじと実感させられて、慎吾は赤い頬の下に笑みを隠した。
























7. 一緒に帰ろう?

「はいっじゃあ解散!」
「「「あーっした!」」」

GWをフルに使っての合宿も終わり、西浦ナインは無事西浦高校へと帰ってきた。
学校についたバスを降り、一度グラウンドでミーティングをし。 今後のスケジュール諸々を打ち合わせた後、西浦ーぜは各自解散となった。 合宿での疲れはまだ残っている。其のため体は重かったけれども、チームとしての初勝利にも酔っていた彼らは足は軽かった。 段々とお互いの性格を把握し始め、其の中でもいち早くお調子者と認定された水谷が、 そのお調子者ぶりを遺憾なく発揮して元気な声を上げた。
「はいはーい!ねね、皆でファミレスとかいこーよ!メシくおー!」
「おーいんじゃねー」
マイペースそうながらもノリの良い泉が賛成の声を上げ、それに釣られてか各方面からも同意の声が上がる。 ナインの大方が行く事になり満足した水谷は、じゃあマネジたちもとグラウンドを見回した。 篠岡ならもう帰ったよ、と沖の声をきいて残念に思いながら、視界の端に写った黒髪にくるりと振り返る。
「阿部も来るよね!」
問われた事にぱちりと少しだけ目を見開いた阿部の隣で、泉がえ、と顔をしかめる。
同じクラスな為、水谷や花井は他の部員よりも阿部を理解している。 この合宿で阿部にモモカン並みの恐怖を植え付けられた一部の部員からしてみれば自殺行為に思えそうな誘いも、 水谷は難なくやってのけた。大体、阿部は普通の女子に比べてちょっと言葉が乱暴なだけで、普通に優しい女の子である。 合宿中で料理の腕前も披露された事もあって、水谷の中の阿倍にただ怖いだけというイメージはない。 確かに、一昨日の練習試合以降ことあるごとにクソレクソレと詰られる様にはなったが。
「おー」
少しおざなりだが、それでもしっかりと是と答えを返した阿部に気分を良くして、水谷はにへらと顔をくずして抱きついた。 篠岡とは違って自分たちと似た様なメニューをこなしている阿部は、汗をかいている筈なのに柑橘系の良い匂いがする。 ふわふわ女の子で軟らかくて、水谷は猫の様に目を細めた。
「やった!阿部スキークリームー食おー」
「あーはいはい」
「何何、阿部もくんの?パフェ食おーぜい!!」
最後まで花井にじゃれていたために一人話の輪に入ってなかった田島が阿倍の名前を聞きつけて阿部に飛びつく。 ぐらっとバランスをくずしながらも何とか踏みとどまった阿部が、がうと田島を睨みつけた。
「田島っ重い!降りろ!」
「えー」
「えーじゃねぇ」
ぺしりと頭を軽くはたかれて、やっと田島が離れる。が、ぴったりと背中には張り付いていた。
田島は阿部が好きだ。それが恋かどうかと言われると微妙だが、 (それでも阿部の造作の整った顔は田島にとって非常に可愛い部類に入っているけれども、) 田島は何よりも阿部の野球観が好きなのだ。部員の顔合わせの日、本気で甲子園に行けると思ったのは確実に阿部と田島だけだった。 阿部の野球に対する姿勢はまっすぐで、澱みが無い。できる事もできない事もきっぱりと割り切っているけれど、 いつだって上を目指す姿勢でいる。自分と似たところを本能的に感じ取って、田島は阿部が好きだった。懐いたといっても良い。
阿部が男だったら最高なのに、そんな事さえ思いながら引っ付いて、阿部の香りを堪能していた。恋かどーかはわかんないけど、 阿部はスキだな。かわいーし野球うめーしメシもうめーしいー匂いするし、かてーてきでスキ。

ぎゃあぎゃあと何処に行くかと話し合っている時、ピリリ、と阿倍の携帯がメールの着信を告げた。 女子らしかぬそのシンプルな音色は、阿倍のさばさばした性格を表してる。合宿の夜での会話で、 阿部に彼氏がいるかいないかで盛り上がったのは懐かしい話だ。阿部が田島を押しのけながら携帯をとりだし、メールを開いた。
「あ」
阿部が小さく漏らした声に、数人が振り向く。
「あ?どうしたん阿部」
「わりー、オレ無理だわ」
「えぇえなんでー!」
ぶーぶーと非難の声を上げる間にも、阿部はちゃっと少し乱れた制服を直し、
「無理なもんは無理なの。じゃーな!」
そう言いおいて、阿部はナイン達とは逆の方向にある門へと走っていった。その様子を見て、水谷や田島が不満げな声をもらす。
「なんだよーもうー」
「阿部とパフェ半分こしたかったのにー!」
と、未練がましく阿部の消えていった方向を睨みつける二人に、栄口がいぶかしげな視線を二人によこした。
「ねぇ、つかぬ事聞くけど」
「なにー?つかぬ事って何?」
「二人って阿部の事好きなの?」
「え?」
それで、ファミレス行くの?
とでも言う様な軽い声に、一瞬他の西浦ーぜ含む田島と水谷がぽかんと口を開いた。 そして徐々に、顔を赤らめる。殆どが最低でも三年間は野球に身を投じてきた男達だ、 いくら過去に彼女の一人や二人いたとしても、きっと対して発展もせずに終わったに違いない。 そんな恋愛経験を表すかの様に、(一見チャラいが)水谷がもじもじと居心地悪そうにした。 隣では田島がうーんと真剣に唸っている。
「んーー・・・阿部ってーチョー可愛いじゃん。そんでいー匂いすっし、野球もメシもうめーし、・・うん、スキかも!」
「えっちょっ・・・おれはぁ、そのぉ、別にまだスキとかじゃなくてぇ」
「あーじゃあ諦めた方がいいよ」
あっけらかんと言い放つ栄口に、なんでお前がそれを言うのかという疑問の視線が集まる。 その視線を受けながら、栄口は外面用の人好きの、阿部から言わせてみればうさんくさい爽やかな笑みを顔にはりつけた。
「さっき阿部が走ってったの、彼氏からメール入ったからだし」
「えええ!」
「多分バイクで迎えきたんじゃない?」
「えええ!」
「ていうか一緒に住んでるし」
「なにそれええええええええ!!!!」







「慎吾さん!」
「カーヤ。迎えにきたよ〜」
「もう。もうちょっと遅かったら、今頃野球部のやつらとファミレス行ってましたよオレ」
「おーアブね。それよりタカヤ」
「はい?」
「名前。あと敬語」
「うっ」

「し、し、しん・・・」

「しん、ご・・・。さん」

「頑張る、から・・・。もうちょっと、待って下さい・・・」
俯いた真っ赤な顔がひどく愛おしくて、

「まーいっか、今はまだ。ほらメットつけて。帰るよ」
「はーい。あ、途中でスーパーよりましょ。何食べたいですか?今夜」
「んーカヤかな」
「・・・・・・慎吾」
「うそうそ半分冗談。なんか辛いのなんかいいかもなぁ」
島崎のバイクは座席が高くて、女子の平均程しかない阿部の身長では自力でシートに乗り上げるのには苦労する。 なので顎の下でメットを止めてやると、島崎はそっと阿倍の脇の下に手を差し入れた。慣れた仕草で阿部も島崎の 肩に腕を回し、タイミングを合わせて地面を蹴った。シートをまたぎ、阿部が重力に従って前にずり落ちる前にス タンドを蹴り、またがった。するりと腰に久しぶりの感触が巻き付いて、島崎がそっと笑う。
「そういえばさ、カヤ」
「はい?」
「さっき呼んでくれたね、名前」
「・・・・・っ」
真っ赤になった顔を、見られないと分かっていながらも背中に押し付ける事で隠す。 くつくつと笑う背中は震えていて、否応無しに阿部は感じ取ってしまう。腰に廻した手でぺしりと叩けば、
「いて」
と痛くもないのに声が上がって、早く出して、と阿部は眉をつり上げながら言った。
「はいはい」



「・・・・あれが、彼氏・・・・」
「顔見えなかったー!!」
「何食べたいですか?今夜だって!何それ何なのそれ!」




2011年5月24日